このレビューはネタバレを含みます
少年たちの愚鈍な動きがもどかしい。
過ちをその場で認められていたら、事件は起こることはなかったかもしれないのに。
子が友を、母が子を、父が母を、会社が父を、社会が家族を、見知らぬ誰かに自分が。
どこへ行っても、誰かが誰かを様々な力で従わせようとするヒエラルキーが、そこら中に存在するこの物語。
イジメについて話し合いを行わせる教室で、いじめられる方にも原因があるなんて議論を許している時点で、教師ダメダメ。
どんな理由でも、その解決方法がイジメな時点でNGな事を、この映画の誰も言い出さない。
(それが物語の根幹だから、当たり前なんだけど)
キャストと世の中の全てが、全部ダメな方向に物語が進んでいく。
(そうじゃ無いのは倉持母だけ)
…ダメ、という表現は正しく無いかもしれないけど、正しいという言葉を使うのは間違っている気がして。
被害者の少年の父が会見で、樹は2度殺された…のところで語った「裁判所とは真実を明らかにし正義が下される場所だと信じてきた。でも違った。」が、何故だか非常に心に残る。
正しいとは何なのでしょう。
誰にとって正しいのが、正しいのか。
敏腕弁護士や興味なさそうな司法関係者により、解釈が曲げられ、結果的に法に則らないのであれば、正しさはどこにあるのか。
冤罪と有罪の境目は、そんなに曖昧なのか。
「あなたの子どもが 人を殺したら どうしますか?」。
子どもの親として、そんな事が起こったら。
きっと私はこうする。
そう心に決めて、そんな事件が起こらない様に、子育てをしよう。