マクガフィン

三度目の殺人のマクガフィンのネタバレレビュー・内容・結末

三度目の殺人(2017年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

死刑が確実視されている殺人犯の弁護を引き受けた弁護士が犯人と交流するうちに動機に疑念を抱くようになり、真実を知ろうとする法廷サスペンス映画。

合理的な弁護士役の福山と人を殺めて掴み所がない役所の対比で展開し、福山の葛藤と心理描写の変化を描写し、法定心理サスペンスだが根幹は社会問題に迫るヒューマンドラマで解釈は人それぞれ。

是枝監督の人間や社会のテーマに向かう熱量が凄く、人が人を裁く司法制度や死刑制度についての問題意識は、間接的だがいつにも増して問題提起の強い作風に。今までの作品とはモチーフもタッチも異なる。

福山の勝利や成果優先主義で勝つためには真実は二の次と割り切ることから、裁判で勝つための戦略を重視してきたのだが、徐々に心情の変化や仕事や人と真正面から向き合う成長を経て、心を優先する決断をすることに。

面会室で向き合う福山と役所の距離が徐々に近くなり、透明の壁に反射する2人の顔が終盤に重なる。この距離は、罪のメタファーで飲み込まれていく描写が秀逸。

対比は、「弁護士と殺人者」「弁護士と検察官」「満島と吉田」「雪合戦後の3人の描写」「血と涙」「飼っていたペットの環境と埋葬の違い」などの構成も素晴らしく、それぞれの状況・変化・メタファーを描写。

社員の聞き込みや福山が娘との短いディテールでさえ意味があり、後に呼応することに感心する。この辺の上手さが是枝監督ならでは。
娘に本当の愛は注いでおらず、後に気づき真正面から向き合うよう改めようする成長の描写も上手い。

ひとつの出来事において、人々がそれぞれに見解を主張すると矛盾してしまうので、全てを理解することは不可能で真実はわからない。人は見る視点や角度によって解釈が変わることも。
法廷は真実を明らかにする所じゃなく、利害の調整をする所と解釈し、訴訟経済のなあなあ感や、便宜を図って権益を守る事への怒りを感じる。

終盤の役所は、これまでの証言を覆し犯行を否認。
裁判をあえて勝ち目のない方向へ突き進むことにし、広瀬が実父によるレイプに関する辛い証言を法廷でさせないよう取り計らい、福山もそれを理解して死刑になる。証言をさせた場合は無期懲役の可能性も十分にある中での死刑判決は、死刑制度に対する疑義をただす。
1匹だけ殺さずに逃がしたカナリアのメタファーが広瀬か。

司法制度・裁判員裁判・死刑制度に対しては説明過多なセリフで、露骨な批判と勘違いしてもおかしくない演出が少し残念。

これらの問題意識はとても重要で人々がそれに対して主体的に関わり性質を見抜く事の大切さは理解できるが、これ程の問題提起をして、俎上に載せるだけなのもどうなのか疑問も生じる。
勿論この作品の核は、二度目の犯人探しや司法制度の問題でもないのだが。二度目の殺人犯は役所と思っているが、役所でなくても成立する構成にしているのでは。

三度目の殺人は、自分を殺した役所、役所の気持ちを汲み取り死刑になる裁量をした福山、人が人を死刑で裁く人々、恣意的な司法とその関係者、事件を扱ったマスコミと解釈。この解釈は役所以外は間違っているかもしれないし、他にも当てはまる事がある気もする。

ラストの福山は十字路の真中で立ち止まり周りを見渡して終了。
この十字路は十字架を意味しており、弁護士としての裁量で人の人生が変わる事の重みや進む方向への迷いや戸惑いの葛藤を1シーンで言葉なく描写していて秀逸で、迷いや戸惑いは監督・俳優・作品にも微妙に通じるがそれが共に良い結果に反映したのでは。

役所のピーナッツバターを塗ったパンを美味しそうに頬張るシーンに恐怖する解釈をした事にこの作品に飲み込まれていることに気づいた。
人を全て理解するなんて無理で、見る視点や角度で解釈が変わる傑作。

斉藤由貴の余談だが、この作品の意図を汲み取り、映画の経験を実生活に活かす渾身の演技をして世間を欺く(羅生門効果で真実がわからない)釈明会見をやっていた事を鑑賞後に気がつき驚愕する。
作品公開前に一人リアル実写化はやめてもらいたい。映画の完成度が低ければ現実に負けていただろう。現実と虚構を区別して欲しいものだ。

・2017年 邦画 作品:第2位