【何を感じて何を思ったのか知りたい】
長いなと感じる時間もあるが、それだけ余白があり、思考する時間がある映画だ。
特に前半のパイを泣きながら食べまくり吐くというMと、食べられず触れられず涙も流せないゴースト化したCの対比は、<人間とゴースト>ひいては<生と死>の境界をまざまざと痛感する。
ゴーストCは、喋られないばかりか、白い布で覆われているため表情も分からない。しかものろま。だから僕たちは、ゴーストCの感情や思考をたっぷりと想像できる。
そして、ゴーストというものが、ものすごく人間的で可愛らしく思える。ゴーストCが幸せな家庭への嫉妬からお皿を投げまくる姿には笑ってしまった。
でも同時にMのメモを見たいという気持ち、家への執着心はなかなか捨てきれず、ずっと現世に居座り続けるゴーストCの姿には、もどかしいものがある。それは、いつまでも感動共有をしたくてしかたない芸術家の末路的姿だった。
扱っているテーマの一つは、「芸術の意義と継承」だ。
いつか死ぬのに、そして宇宙はなくなるというのに、人は何かを残し、そして引き継いでいこうとする。映画も本も音楽も、どうせなくなるのに、どうせ残しても意味ないのに、人は作り出すことを止めない。
その脈略と続いている物語が歴史だ。そして、そこに人間の根源的欲求としての「しるしを残したい」というものが見えてくる。音楽や本、絵も生きた証を残すのと同時に、誰かに「感動」を伝えたいという想いがある。そしてその誰かがそれを見て「感動」してくれたとき、人はこの上ない幸せを感じるのではなかろうか。モヤモヤの昇華、執着の解放、自己実現につながるのではなかろうか。
また、芸術の意義はこうも言えるだろう。それはモヤモヤとした存在、今は目に見えないもの、声が聞こえないもの、の思いを受け取り、作品に昇華するものだと。誰にも目に止められず死んでいった者たち、声を上げられず死んでいった者たち、への畏敬と成仏の念を込めて作品を作り出す。きっとそれは、現代に生きる我々がよりよく生きていくためにも、尊く大切な作業・創作過程なんだと思う。
Cが作った音楽、Mが残した言葉、原住民に殺された白人の女の子が残した絵・・・。それは、生み出した者と受け取る者、両者がいて成り立つものだ。そして、その連鎖に意味は必要ない。その創造物に込められた想いに良し悪しや優劣はない。なぜなら、その意味合いや良し悪しを語ることは、人間の人知を超えているから。ただ僕たちがわかるのは、そこに人生や想いがあったということだけだ。そしてそんな諸行無常の世界で、それを継ぐことは、きっと「愛」以外のなにものでもない。
そして、以下のクエスチョンには、こう答えたい。
【Q】いつかは何もかも消えるのに、何かを残す意味はあるのか?
【A】意味はないかもしれない。でも、残したいから残す。
実際問題、せっかく生み出したのに関わらず、受け取る者や引き継ぐ者がおらず、消えていった物事がこの世界にはたくさんある。
でも、それでも、何かを生み出すこと、作り出すこと、を人はやめられない。
誰かに伝わってくれることを祈って、そんな「希望」を抱いて、創作していくしかない。
ーーー
自分は20回以上引っ越してきた転勤族であるため、今作はCとMの想い・考え方の狭間で、いろいろ考えさせられ、整理をつかすことできた。
Cは家に対する執着・愛があった。CとMの想い出・歴史が詰まった家を引っ越したくなかった。そこで、創作活動をしたかった。
いっぽうでMは、幼い頃に引っ越しが多かったためか、家を離れることに躊躇いはなかった。Cが語る「僕たちの歴史」を大袈裟だと言った。ピアノも捨てた。
ここに、モノを捨てられず引越ししたくない男と、モノを捨てて引越ししたい女、の対比が出来上がっている。それは、どちらがいいとか悪いとかはない。いや、二人は違うからこそ、よかったのかもしれない。二人はお互いの心が分からないからこそ、想いを伝えたくなり、何かを残したくなったのだろう。
ーーー
<オープニングの会話>
「子供の頃、引越しが多くてね。メモを書いてそれを小さく折りたたみ、隠した。そうすればいつか戻った時、昔の私に出会える」
「戻ったことは?」
「ない」
「やっぱりな」
「必要がないもの」
「内容は?」
「ちょっとした詩とかだった。その家での生活や楽しかったことなんかを、思い出せる内容のもの」
「どうして何度も引越したんだ?」
「仕方なかったの」
<預言者の発言要約>
人は何かを創造し、レガシー(遺産)として残したがるが、そんなものは全て無意味。みんな死ぬんだから。人も地球も。
地球が滅亡する時にベートーベンの第九を口ずさむことで、人は救われるだろうが、それも意味がない。地球が消えてしまえば全ておしまいだ。だから、人が何かを残すことに意味なんか無い。
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無神論者・虚無主義的発言だ。だがそれは一つの真理だろう。そしてその真理をもってしても、人の表現欲・創作欲を止めることはできないのだろう。