ちょげみ

夜明け告げるルーのうたのちょげみのレビュー・感想・評価

夜明け告げるルーのうた(2017年製作の映画)
3.9
【あらすじ】
漁業と和傘の町、日無町に住む中学生のカイ。
両親の離婚によって日無町へと引っ越してきて以来、父や祖父との関係も良好ではなく、学校では友達もできない中、自ら作曲した音楽をネットにアップすることで日々の退屈を紛らわせていた。
そんなある日、自分のアップした動画を見た同級生の遊歩と国夫に、彼らの組んでいるバンド「セイレーン」に入らないかと誘われる。
カイは彼らがバンドの練習拠点としている人魚島に興味があったので、乗り気ではないながらもしぶしぶ島での練習に同行して練習をしていると、そこで人魚のルーを目撃する。
音楽に合わせて楽しそうに踊るルーは彼らの心を射止め、最初は及び腰だったカイも徐々に元気を取り戻し始める。。
しかしあるきっかけでルーの存在が町中、ネットを通して世界中に広まった中で、ルーは観光の道具にされ始め。。。


【感想】
"人魚の少女と人間の子供の王道音楽青春ラブストーリー"

湯浅監督独特のアニメーション演出が今作でも遺憾無く発揮されており、それに斉藤和義の『歌うたいのバラッド』を始めとする音楽の調和が加わり、さらにラストの爆発的なカタルシスが彩りと深みを与えて、より感動的でどこか切ない映画にしています。

音楽などのトリガーが引かれることで日常世界から動きが激しい、より爆発的で拡張的なアニメーション表現に移行することが湯浅監督の一つの特徴で、今作でもふんだんに使用されています。
『夜は短し歩けよ乙女』の詭弁踊りを想起させるようなうねうねでぬるぬるのダンス、ルーの父親がルーを助けに行く時の躍動感あふれる走り、など山場で要所要所に使用されることで凝り固まった心がタコみたいにぬるぬるで柔軟性を帯びるような感慨に浸らせてくれました。



しかし今作品で最もフォーカスを当てられているのはカイの成長過程。
内に籠りがちなカイが、音楽と音楽を通して繋がった仲間を通じて世界との繋がりを取り戻していく過程がとても巧みに、温かみを持って描いていました。
上映後15分ほどに始まるタイトルシーケンスまでにこの映画のテーマを明確に打ち出していたかな。

カイは父親や祖父との関係性が悪く、両親の離婚で心を痛めている、それに加えて何もない田舎町に対する嫌悪の情もあって、映画序盤では他人に対して全く心を明かさない少年として描かれている。
実際、深い絶望や苦しみには囚われてはいないものの、彼を支配しているのはどこまでも続く無気力と無関心だ。
月の裏側みたいな、何もかもが停滞し全く光が差し込まない世界で彼は生きており、彼は世界をモノクロの味気ないものとして見ていて、世界は彼に対して門戸を開けていない。
そんな田舎町で閉塞感を抱いて暮らしているという情景が開始5分ほどで描かれる。

しかしその後変化の予兆が現れる。
遊歩と国夫に誘われて人魚島に行き、ルーが音楽に合わせて踊っている光景を見かけ、自分もそれに触発される形で踊る。
そこでは彼の変化の第一歩が描かれており、音楽を持つ力が彼に影響を与える示唆も与えている。
無気力な少年が音楽を通じて変貌を遂げはじめる、という明確なストーリーラインを冒頭15分で描いており、吸引力と完成度という点ではとても魅力的なオープニングシークエンスだった。


その後カイはルーに、そしてルーが好きな音楽に触れることで徐々に瞳に感情の色が灯り初め、言葉には弾力が生まれ始めます。
ルーは人間の言葉はわかるものの、言葉は単語でひとつふたつしか話すことはできませんが、感情に蓋をしていたカイにとってはルーの率直でカラフルな愛情表現が最も必要なものでした。
そしてルーと音楽から多大なものをもらった彼の、石のように硬直して強張っていた心に命の息吹が吹き込まれ、世界に対しオープンなマインドを持つに至ります。
最後に拙いながらも町中に向けて歌った『歌うたいのバラッド』は一種の通過儀礼であり、生まれ始めた感情の渦を音楽という媒体を通して吐き出すことで、彼は大きな成長を遂げます。
ルーが最後にいなくなったのは彼はもうルーがいなくても一人で立つことができるからであり、音楽に頼らなくても前に向けるからでもあります。

カイの成長譚を非常に魅力的に、ハートフルに描いた、とても心温まる作品でした。
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