ろく

Ryuichi Sakamoto: CODAのろくのレビュー・感想・評価

Ryuichi Sakamoto: CODA(2017年製作の映画)
4.2
もう30年以上も前になるのか。初めてYMOを聞いてすっかりその音楽に魅了された。当時僕がうすぼんやり思っていたことは坂本が「北風」だとしたら細野は「太陽」(ユキヒロすまん)。坂本がすべてを吹き飛ばすとしたら細野はふんわりと包んでくれる。そんなイメージを持っていた。

そのイメージは坂本の著書である「SELDOM ILLEGAL」や対談「EV.cafe」を読んで、さらには細野と中沢の対談「観光」を読んで益々堅固になった。そうだ、そのころに坂本の映画も「見なければいけない」とばかりに躍起になり「ラスト・エンペラー」や「シェルタリング・スカイ」などわからないながらも見た。そして坂本が言っていたことをさも自分が思いついたようにバーなどで語り悦に入っていた。今思えば半可通である。

いつからだろうか。坂本の音楽を追っかけなくなったのは。思想が音楽を超えたと感じ(今なら言える。そんなことないんだよ)五月蠅いと思うようになってしまい(特にアンビエントに行ったときは僕は困惑した)耳触りのいい、ピチカートや小沢健二、ラブ・サイケデリコあたりに逃げた(いや逃げたんだよ。五月蠅いんでなく「わからない」だったんだ)。

そして久々に坂本を見た。ほんと久々だ。

こんな優しそうな男だったっけ。そこにはガンを宣告され、無精ひげを伸ばし、ほんと楽しそうにピアノを弾く坂本がいた。最後近くのピアノのシーンなどそこには慈愛の目があった。これは僕が以前坂本にはなく細野にはあると思っていたものだ。僕は間違っていた。坂本は(少なくとも今の坂本は)僕らを優しく包んでくれて語りかけてくれる。

この映画では3.11、東日本大震災、地球温暖化など世界を憂える坂本を見ることが出来る。でもそこにあるのは「優しく包んでくれる目」だ。そしてそのすべてが自由に音楽をしたいという坂本の気持ちとリンクする。そう、僕は気づかなかった。昔から彼は音楽バカなんだよ。音楽さえできていればそれでいい。そのために地球を、環境を憂えているだけなんだよ。

北極で坂本は小さいシンバルを鳴らす。音が響く。その時の嬉しそうな顔。それだけでもこの映画は見る価値がある。
ろく

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