CHEBUNBUN

恋とさよならとハワイのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

恋とさよならとハワイ(2017年製作の映画)
4.5
【2010年代日本の恋愛は競歩みたいなもんなのさ】
現在、ブンブンは《死ぬまでに観たい2010年代映画100》をnoteの方で定期配信している。2010年代という社会を映画という観点からアーカイブしようという試みだ。これがもし、日本という縛りを入れていたのであれば本作は間違いなくランクインするであろう。2010年代日本に漂う恋愛観というものを見事に象徴した1本である。本作は別れているにも関わらず同棲し、寧ろカップルでいる時以上に仲が良い歪な関係を続けてしまう男女の物語だ。『愛がなんだ』もそうだが、日本人の2010年代の恋愛観は割と「友達以上恋人未満」の居心地の良さを大事にする風潮が強いと言える。これは、日本社会が凋落し、男ですら年収600万円野原ひろしの世界が夢のまた夢になり劣等感を抱いているのかもしれない。あるいは、未来は不安定で、カップルになる結婚するといった長期的な結びつきに対して億劫になっているのかもしれない。『アルフィー』では、恋愛って面倒臭いよね。だから友達以上、恋人未満がサイコーだぜとニヒルに語られていたが、日本に渦巻くそのふわふわした関係はそういった斜めに構えたものがありません。未来を描けないから、現状維持を目指す。告白するなんてことをしたら関係が崩れてしまうし、この映画の例でみると、完全に別れたら未来を切り開かないといけない。そんな不安定さに身を投じる不安が、本能的にこの中途半端さに居心地を求めるのだ。

さて話を戻そう。この新鋭監督まつむらしんごはそんな歪な恋愛というものを《競歩》というものから見出した。その着眼点に鋭さを感じる。冒頭、目覚まし時計がリンリンと鳴り響く。イサムとリンコはムニャムニャと起き、ジョギングをするのだが、これが違和感を覚える。走っているというよりかは歩いている。かといって歩いているかと訊かれたら「走っている」と答えたくなる。そう競歩の動きをしているのだ。それを巧みにムーブとフィックスのカメラワークで、違和感を増幅させていくのだ。この映画の終盤、再び競歩の場面を挟み、その上で自転車で駆け抜ける描写を入れていることから、これは中途半端な恋からの脱出を描いている作品だということができる。描いてしまえば陳腐ではあるが、走る描写に対しての視点とそれを魅せる技巧の面で他の監督にはない面白さがある。

リンコは、別れているのに恋人と同棲している関係を友人に話すとドン引きされる。彼女は友人の結婚式でハワイに行き、余興でフラダンスを踊るため定期的に練習しているのだが、そんなのしている場合なんじゃないの?と問われる。彼女の周りに漂う《コイバナ》の空気に揉まれ、だんだんこんなんで良いのかなと悩み始めるのだ。そして居場所を失った彼女は重いトランクを引きづり夜の街を彷徨った果てに、酔いつぶれた友人と会話し気づくのだ。

「イサム君は私にとってCDデッキのようなもん」だと。

リンコは自分がCDで彼の人生を盛り上げるために必要とされている。それが存在意義なんだと無理に自己肯定しようとし、そしてそんな自分と向き合うことで興ざめしていく。『愛がなんだ』にも通ずる繊細な恋のうつろいがそこにはありました。

ブンブンは長年、『アルフィー』さながら友達以上恋人未満の恋愛の甘い果実に身を投じてきた人生から一歩踏み出してしっかりと恋人を愛する人生の急流に飛び込んだ身。それだけにこの作品は心に残る作品でした。まつむらしんご監督は今後期待の監督です。

死ぬまでに観たい2010年代映画100 1章: 2010年↓
https://note.mu/chebunbun/n/n3e91b343904f
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