幽斎

プリベンジの幽斎のレビュー・感想・評価

プリベンジ(2016年製作の映画)
3.8
イギリスで物議を醸した異色のマタニティ・スリラー。ある意味安産で有り難産でも有った。作品は2016年と古く、随分前に配信で観覚えが有るが、それを「ほんとにあった呪いのビデオ」ブロードウェイが買い付け、日本に上陸。

Alice Lowe、43歳。芸歴は古くクレジットに名前が載る前から様々な作品に出演、コメディを主戦場として2001年辺りから名が知られる。映画はSimon Pegg主演「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン」長編デビュー。TV俳優や短編の出演を続けるが、同年代Edgar Wright監督に気に入られ転機が訪れる。彼が製作総指揮を務めた「サイトシアーズ 殺人者のための英国観光ガイド」主演と脚本を務める。翌年「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」ハリウッドデビュー。イギリスのコメディTV女優が一線級のハリウッド作品に出演するだけでも凄い。イギリスに戻り映画女優に格上げ、活動を続ける。

とは言え日本では無名の存在、そんな彼女に再び転機が訪れる。パートナーの子供つまり「妊娠」。男目線からすれば、お目出度い事で周りから祝福され幸せな出産を迎えるハッピーな出来事、と思うだろう。しかし、当事者にすれば深刻な問題、それは収入。彼女の様な立ち位置の女優だと言い方は悪いが「代え」は幾らでも居り、妊娠中は仕事が入らず、出産して復帰しても仕事が有る保証もない。社会から孤立し、忘れられた存在に為る事へのフラストレーションが本作に結び付く。

当然周囲は猛反対、妊娠中の女優が転げ回ったり走ったりする事への倫理的、道義的、事故責任など解決すべき項目は多い。「本物の妊婦が殺人鬼として暴れ回る」此の一点突破のプロットは不謹慎だが面白い、最初に企画をハリウッドに投げたが、誰も賛同してくれない。そりゃそうだ、誰だって責任は取りたくない「分ったわよ、だったら自分で作るわよ!」と脚本を起こして速攻2週間で撮影。ご覧頂くと分るが、結構な体当たり演技で助産師立ち合いの下で撮影が行われたが、労災適応の撮影保険は下りず、正に命懸けの作品。それだけ彼女の妊娠して分った怒りにも似た孤独感は男が想像出来ないレベルなのだ。

妊婦のスリラーと言えばレビュー済「インサイド」「ハイライフ」が有るが、妊婦が殺人鬼と言うのは観た記憶は有るが、なぜか思い出せない。設定が妊婦でも偽物で、リアリティが無く面白くない。逆に妊婦を襲う方はレーティングに抵触し、尚更駄目。本作はリアル妊婦で「胎教」を考えると躊躇するのが当たり前、資金集めに奔走したBenedict Cumberbatch初主演作「僕が星になるまえに」製作のVaughan Sivellも10万$を集めるのが精一杯。それでもLoweの果敢なチャレンジに賛同した英国俳優が集結。

処がイギリス国内で上映してくれる映画館が見付からない。2016年5月カンヌで上映されるも評判が芳しく無い。其処で世界中の映画祭に出展、メルボルン・モンスターフェス2016審査員賞受賞、ロンドン・フライトフェス映画祭2016新人賞受賞、英国インディペンデント映画賞ダグラス・ヒコックス賞ノミネート、など評価を受けて翌年2017年2月やっと劇場公開したが、制作費の回収すら出来ない。それでも2019年だけで6作品への出演も決まり、監督としても最新作が待機中。新境地を見せた本作は決して無駄ではなかった。

アメリカでは妊婦はスリラーで有れホラーで有れ登場させてはイケない存在として忌避する。アメリカでは頗る評判が悪く、それで日本に入るのが遅れた。アンタッチャブルに近い妊婦が、英国らしい乾いたウイットで「笑って良いのか?」と自問自答する観客に対し、妊婦のLoweが「私だってストレスが溜まって暴れたいのよ!」と画面の奥から叫ぶ声が聞こえる、気がするので素直に笑って欲しい。妊婦と言う社会性の有る存在を、逆さまに引っ繰り返す事で映し出される矛盾がテーマ。私のIDで有り尊敬してやまない祖国の英雄Alfred Hitchcock監督が見たら、きっと大喜びで褒めてくれるだろう。

ホラー的に言えば、妊婦と言うオプションは有るがテラー要素は控え目。普通は主人公が殺人鬼に狙われる訳で、逆パターンでは主人公に感情移入が難しく、胎児の声で殺すプロットも責任転嫁が付き纏う。どうしてこうなったのか、説明が致命的に足りず、もう少し彼女の葛藤を繊細に描くシーンを多くして、観客が寄り添える「空白地帯」も必要。監督して主演すると、俯瞰的な視点が多く為り、当人だけが知るファクターが逆に描かれないジレンマに陥り易い。

スリラー的に言えば、夫の事故死の関係性が分り難い。ロッククライミングで命綱を切られ夫は亡く為るが、リーダーが命綱を切ったのは故意では無く、他のメンバーまで巻き添えに為り、多数の死者が出る懸念からリーダーの判断で切ったと推察。命を狙われた人は同じ参加者と考えるのが妥当。破綻しない脚本を仕上げた監督に死屍に鞭打つつもりは毛頭ないが、もう少し説明的でも良かった。まぁ納期の限られた中では上出来かもしれない。

固定観念を覆す、漆黒のイングリッシュジョークに包まれた異色スリラーが「誕生」した。
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