まぬままおま

夜の浜辺でひとりのまぬままおまのレビュー・感想・評価

夜の浜辺でひとり(2016年製作の映画)
4.0
ホン・サンス監督作品。

またしてもホン・サンス監督自身の私生活を反映しているだろう物語。

『クレアのカメラ』では、ショットを連続させることで意味の創造を行っているが、本作では現実/虚構の攪乱を意図しているように思える。

物語世界における現実でヨンヒが被った傷が、夢という虚構での出来事によって回復されるのが面白い。そしてこの現実と虚構を同じ強度で映すことができるのが映画ならではである。だから夢オチであることが明かされるまで、鑑賞者には現実/虚構の区別がし難いのである。

私たちの生きる世界を現実とするならば、映画で映し出せれる物語世界は虚構である。私たちは虚構によって勇気をもらったり、肯定されたり、新たな視座や考え方を得たりする。このように虚構から得たものを現実へ反映させる。そして逆に、〈私〉が考えたことや現実で起こったことをカメラに収める。また現実に生きる人々の制作によって虚構が創造される。
このような現実/虚構の区分しがたい相互作用と虚構のもつ力を描いているようにも思えるのである。

蛇足1
ハンブルクのラストシーンで、ヨンヒが連れ去れるのはどう解釈すればいいのだろう。物語世界の仮構性?
カンヌンの出来事ではあるが、ヨンヒの宿泊するホテルのベランダに知らない男がしれっといるのも同様のことなんですかね。

蛇足2
ヨンヒが旧友らと飲み会するシーンが好きすぎる。
特にヨンヒと先輩がキスする瞬間。
あと愛する資格と愛される資格って何なんですかね…。

蛇足3
みんなチャミスル飲みすぎなんだよな。

あらすじ
主人公ヨンヒ(キム・ミニ)は、女優であるが不倫スキャンダルのため表舞台からは遠ざかっていた。傷ついた彼女は、ソウルから隔たったハンブルクへ逃避し、カンヌンにやってくる。そこで旧友たちと再会し、元気をもらうことで、女優復帰の意欲が芽生える。カンヌンは美しい海岸都市だ。ヨンヒがひとり海を眺めて、寝そべっていると映画製作のクルーに出会う。実はそのクルーは不倫相手の映画監督の一員であることが判明する。その後飲み会に誘われ、映画監督と対峙する。ヨンヒはお酒の勢いで思いの丈を述べ、怒りを爆発させるのだった。
そこで夢から醒める。クルーも不倫相手の映画監督もカンヌンにはいなかったのだ。夜の浜辺でひとりなヨンヒ。彼女は浜辺を去る。
おわり