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無限の青空のニューランドのレビュー・感想・評価

無限の青空(1935年製作の映画)
4.1
FC以来、20年振り位の再見で、朝11時からという、とんでもない通常の睡眠時間帯だったが、特に好きな作品だったし、他に空きがないので、居眠り覚悟で観に行った。今回は、先に述べた、初にして(『空軍』と並ぶ)最大の傑作『暁の~』に次いで2本目の鑑賞になる、ホークスの航空映画だが、他ジャンル・特に(スラプスティック・)コメディにおける止められぬ変な執心が、現実やその責任のあり方とまともに衝突し、強く暗い改悔や贖罪の意識に悩まされ、同性の友情や異性の愛の定型でない癖に洗われて(気付く前から、フランク・リズム・干渉が度を超して自然体・一体的、夢の現実だ)、自己に対しての(友の為には嘘も活かしより大きな)誠実な人間として目覚め復権し、プロフェッショナルとしての誇りを(取り戻し)強めると共にその代償として与えられた命を落とす(者も)、という裏返しのかたちをとる(西部劇等とは半ば一致)。
本作も、素晴らしいミニチュアの主観・客観ワークを挟み並行しつつ、管制室内を中心に様々な地位・立場の男女の再会・邂逅を組み合わせ、やがて無視界夜間空間の機上の人間・駆けつけ家人・リタイア半廃人も含めて、台詞スピードを速め同時にガナらせ、殆ど宗教的悲願ー各々の目覚めと方向が違う特殊な、の場が創られてゆく。人間世界の限界を思い知り、同時に、方向が違う・つまり各々の社会的責任等ではなく、他者への奉仕・愛情の自覚が自己の生の実現・確認と現実形とは裏腹に一致してくるを実感する、場が現れてくる。
地味だが、カメラ位置の(ルーチン外の時にフィット細かい角度)切り換え、その対応、部分性とそれを含む全体性のカットの同質手応え、個人の力への接近や新たな人の導入の適切移動も、実は凄いものだ。
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