meltdownko

しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイスのmeltdownkoのレビュー・感想・評価

4.0
自分から動けない人間を俺は必要としないのだ、というエヴェレットの言い分は、俺は必死に生きているのにお前は庇護を求めるのか、という平等性の要求であり、モードがこの要求に応えていくうちにエヴェレットの抑圧は彼の無言の肯定を経て徐々に解除される。当初、ここは俺の家なのだ、だから俺がこの家におけるルールなのだ、とでも言うようにエヴェレットはモードを所有物とみなしているが、モードの絵が家中を侵食するのに呼応するようにそのパワーバランスが乱されていく。俺の名前を書くのか、というエヴェレットに対し、モードが、共同経営者だから、と返したあの時こそが両者のパワーバランスの均衡点であろうし、その直後であの行為が発生するのは極めて正しいのではないだろうか。それはいびつな力関係の元で行われてはいけないのだということなのだろう。
その後に両者のパワーバランスはふたたび均衡を失い、今度はモードがエヴェレットを無意識のうちに苦しめることになる。エヴェレットの家における男尊女卑社会が、その当時の局所的なものなのか、あるいは社会全体に蔓延するものなのかについては私はわからないけれど、いずれにしても当初はモードを抑圧した思想が今度はエヴェレットに刃を向けることになるのである。
ふたりのパワーバランスは振り子のように振れ、それが止まるときには、楽になりたくて雇ったはずの家政婦はほとんど動けなくなっている。それでも二人が一緒にいる理由をこの映画は愛と定義しようとしているのではないか、と私は思っている。
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