最近の韓国映画は油断ならない。ポン・ジュノやパク・チャヌクといった大物はいざ知らず、こと新人の高評価作品は、蓋を開けてみればその大半が文政権のお手盛り映画で、自称ノンポリの小生なんか困惑することしきり。『タクシー運転手』にしかり、『工作』にしかり、である。
今作は露骨にその類。映画のあらすじ紹介に政治的背景を指摘するものがほぼ皆無だから、タチが悪い。開始早々にプロパガンダ映画と誰もがわかる設計。日本と違い韓国は国を挙げて映画に力を注いでいるが、プロパガンダ装置としての映画にたのむところ大だからであり、それはつまり戦争中の国であることの証左。忘れてはならない、朝鮮戦争はあくまで休戦中なのである。
阿る、という言葉がある。ご存知、おもねる、と読む。諂う、という言葉がある。こちらは、へつらう。「阿る」も「諂う」も語感共々、中学生の時分にその読み方と意味を知ってなんともいえない居心地の悪さを覚えたものだ。悪事を暴かれたような。
ここまで現政権への阿りと諂いが過ぎると、かえって「天晴れ」というほかない。連続殺人なんて聞けば多少なりとも食指が動くが、こちらは大衆への阿り。今作の連続殺人事件は意匠に過ぎず、何にも解決しませんから、期待せぬよう。「正義」とは何か、という問題を問いかけるに十分な材料を提供していますが、それも政治闘争の具に過ぎず、すべては全斗煥が悪い、となってしまう。
こういう映画を日本人が観ることの意味ですよね。もちろん韓国に関心がないわけではないし、光州事件をはじめ、80年代の韓国で何が起きていたかを知るきっかけともなり、なるほど、全斗煥の後に出てくる金大中の直系を自認するからこその文在寅の北への宥和政策なのか…と得心もするわけだが、だからどうした、である。日本映画の荒廃ぶりは久しく問題だが、韓国映画の発展と洗練も、国家の紐付きとなると、感心してばかりもいられない。こちとら、「映画」をこそ観たいのだ。
しかしねぇ…。刑事さんのやったことって、30年の懲役生活で償えるものだろうか。記者の兄貴は、幻想においてもさすがに自分を売ったことは許してくれないんじゃないかな。感情に任せて国家安全企画部のイケメン室長に楯突いたのもよくなかった。後先考えない言動が、妻を死に追いやったのだから。
政治以前に人間の生身でしょう。心でしょう。民主化の勝利といって、笑ってる場合じゃないですよ。