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ティタシュという名の河
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『ティタシュという名の河』に投稿された感想・評価

3.9
バングラメロドラマ大戦

バングラデシュの小さな漁村。そこに住む漁師は許嫁がいる身でありながらラジャという他の娘と結婚する。
しかし、ラジャは結婚初夜に誘拐されてしまう。遠くの村人に助けられたラジャだったが、夫の記憶を失っていた。腹には子が宿っていたにもかかわらず……。

寓意的なリアリズム。
前半はメロドラマのような展開が続き、後半から打って変わって叙事詩的な村々の争いを描いた年代記となる。

70年代の作品というにはあまりにもクラシック。サタジット・レイの盟友というのも頷けるほど重みのある作品だった。

1人の娘の苦難と村々の争いということで、チェコの「マルケータ・ラザロヴァー」(1967)を思い出した。クオリティーで言うならば双方ともに甲乙つけがたいくらいの傑作。だけどモノクロ漁村フェチなのでこちらの方が気に入った。

強そうな男がちまちまと網のメンテナンスをする姿にときめきを感じ、何だかイケナイ扉が開きそうになるのでした。
白黒作品ですが、1973年公開のベンガル映画です。この映画を作ったリッティク・ゴトク監督は公開3年後の1976年にお亡くなりになっています。活動期間は長いのですが、作った長編映画は8本だけです。日本で公開されたのは『雲のかげ星宿る』(1973年)だけ。今回観た『ティタシュという名の河』はあまり有名ではありませんが、マーティン・スコセッシが設立したThe Film FoundationがWorld Cinema Projectとしてレストレーションしてくれました。クライテリオンから発売されている"Martin Scorsese's World Cinema Project Vol.1"コンピレーションボックスセットに収録されています。

まず、簡単に言えば二つの村、二人の女、二人の男の話です。「人生は一瞬の輝き、あったものはなくなる。子供は大人になる。ティタシュ河も明日は干上がるかもしれない。それでもカタツムリ達はゆっくりと歩むしかないんだよ。」とおじさんが言いますが、これがこの映画の全てではないかと思います。

この映画は人の顔の見分けがなかなかつかないので、これから観る人のために(ネタバレにならない程度に)少し詳しめに説明しておきますね。

舞台は1930年代のベンガル地方(現在のバングラデシュ)の漁村Gokannaghat。年頃の娘はMaghmandalという伝統儀式で結婚するしきたりです。もうすぐ年頃の娘Basantiは幼なじみのKishoreかSubolと結婚することになっています。ちなみに、Basantiが好きなのはKishoreの方。しかし、Kishoreは漁の途中の村Ujaninagarで少女Rajar Jhi と出会い結婚することに(のちに、この初夜で妊娠していることがわかる)。しかし、帰る途中に盗賊に襲撃され、花嫁は連れ去られ(たとKishoreは思い気が触れてしまう)そうになります。しかし、ボートから落ちてティタシュ河のほとりにたどり着く。

これが2時間30分強の映画の最初の30分くらいです。そして、物語らしい物語はここまで。残りの2時間は正直に言えばよくわかりません!出会いがあり、別れがあり、再会があり、そしてまた別れがあり。その繰り返しです。同梱されている解説書によるとリッティク・ゴトク監督はインド・パキスタン分離独立(1947年)に拘った監督なのだそうです。この物語はインドパキスタン分離独立前の設定ですが、後半は社会階級と村の分断が描かれています。大きな力の前になす術がない人たち。それでもカタツムリ達はゆっくりと歩むしかない。

テーマと物語はかなりバングラデシュのローカルなもので、外国人のボクらにはなかなか響きづらいものがあります。文化的な違いなのか、監督独自の価値観なのか、登場人物達に共感するのが難しいです。え?それだけで気が狂っちゃうの?え?なんでそれで死ぬの?なんで、それで自殺?みたいな。特に後半は頭の中にはてなマークがたくさん浮かんできます。タフなジェイソン・ステイサムの映画を観過ぎてしまったのかもしれません。

これも同梱の解説書に書いてあったのですが、小津安二郎に比べて成瀬巳喜男が国際的な認知が遅れたように、ベンガル映画ではサタジット・レイ監督(『大地のうた』などオプー三部作で有名)が早い段階で国際的に認知されましたが、本作のリッティク・ゴトク監督が国際的に認められるのには時間がかかったそうです。まあ、これだけローカル色が強かったら仕方ないかなと。成瀬巳喜男監督作品も、記号化された小津安二郎監督作品よりローカルと言えるのかもしれません。

それでも最後まで(2時間30分強)観ることができたのは、美しい映像のおかげです。広角レンズを使ったディープフォーカスが特徴的で、手前から奥までピントが合ってクリアです。ディープフォーカスを活用することで奥行きのある構図(手前から奥に伸びる構図)がとても効果的です。この映像美だけでも観る価値は十分にあります。
この映像の美しさによる感動具合、やはりこの監督の映画で一番好きかもしれない。

途中からロバート・フラハティの記録映画みたく風景中心になる点もまた良し。