くるぶし

南部の唄のくるぶしのレビュー・感想・評価

南部の唄(1946年製作の映画)
4.2
ディズニー、及びアメリカの闇に葬られた幻の一作。ディズニー+でも配信はない。
スプラッシュマウンテンの題材にもなっている今作。前から存在は知っていたが、ずーっと観たいと、出来れば正式な手段を踏んで観たいと思っていた。
DVD化されておらずVHSもプレミア価格で手を出せない中、あれをあーして遂に見てしまった。しかし実に素晴らしい作品でした。

アメリカ南部のプランテーション農場に移住してきた白人の少年とトークばかうま黒人のリーマスおじさんの交流を描く。
作風は非常にのどかで“ジャンゴ”や“それでも夜は明ける”のような明確な奴隷制構造は描かれず、ゆるめの主従関係として描かれる。実はそこが論争の火種となっているのだが。
論争についての個人的見解は追々書くとして、いかに素晴らしい作品かということをまずは伝えたい。

今作は実写とアニメの融合で作られており、1946年当時として非常に凄まじい技術で製作されている。個人的にロジャーラビットやメリーポピンズなど実写×アニメの作品が趣味にブッ刺さるので画面を見ているだけで大満足。
リーマスおじさんと少年の交流もとても心温まる。演出も見事で実写パートに差し込まれるアニメパートは浮いておらず、実写パートに馴染んでいて、且つ緩急にもなっていた。
ストーリーやメッセージも素晴らしく、貧富の差(貧しい白人も登場する)や人種の壁をフィクションによって乗り越えるという話は映画好きとしてこちらも救われるような気持ちになる。

根幹の部分はリーマスおじさんからのお話で少年が救われ、成長する話であり何ら問題ないように思えるが、アメリカにおける奴隷制・奴隷解放後の黒人差別についてはかなりナイーブな問題であったようだ。
問題の発端となったとされるのは公開当時に全米黒人地位向上協会が提起した「奴隷制の美化による史実の歪曲」の問題だ。
(時代は南北戦争後と思われ奴隷ではないとわかる描写もあるが、事実上白人による黒人の搾取の構造は変わっていなかったと考えられる。)
前述の通り今作ではプランテーションにおける黒人と白人の関係は緩い主従関係として描かれており、差別描写は一切無い。印象としては金持ち坊ちゃんとお手伝いさんくらいのものだ。
確かにこの作品が広まることにより黒人が差別を受けてきたことを覆い隠すようになることも想像しうる。白人のプロパガンダではないかと全米黒人地位向上協会側から声が上がったのがまず一つ目の問題点。

別の問題として、ステレオタイプな黒人の描かれ方もある。訛りがひどく(吹き替えだからあんまわかんない)、スピリチュアルっぽく描かれることはそのステレオタイプに該当する。日本人としてはあまりイメージが湧きづらいが、阪神キャップを被りたかじんを口ずさむ大阪人がたこ焼き食べながらアメちゃんくれるみたいなことだろうか。

それらの問題のためソフト化や配信が見送られ続ける今作だが、ここは大きめの声で異を唱えたい。この作品はもっと多くの人の目に正しい形で触れられるべきだ。
まず第一に、この作品を無かったことにするということ自体、黒人差別問題へ目を背けていることになってしまっている。
Black Lives Matterなど黒人差別問題が未だ叫ばれるこの現代において蓋をしておくだけでは何の問題解決にもならない。さらに言えば歴史的・美術的価値の高い今作がそれらの問題で排除されるのは文化的視点から非常にまずい事態といえる。

第二にディズニーのこれらの問題はこの作品に限ったことではないからだ。
ヨーロッパによるアメリカ大陸への侵略を美化したポカホンタス。
アジア人を差別的表現で描いたわんわん物語。
ネイティブアメリカンへの誤った印象操作を行ったピーターパン。
そのほかダンボのカラスの描写や戦時中のプロパガンダアニメなど挙げればきりがないほどだが、それらの作品の一部はディズニー側も”当時の認識の誤りだ“と認めており、実際そのような文言がディズニー+内で確認できる。

大変素晴らしい作品だからこそ、無かったことには絶対してほしくない。
問題がある作品は注意書きをつけた上で配信をするという土壌が整っている今、是非ともディズニー+で配信してほしい。
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