このレビューはネタバレを含みます
父は思ったはずだ。
なぜ、あの日に死のうと思ったんだろう、と。
それが娘の人生を狂わせた。
娘もまた、同じことを思ったはずだ。
良かれと思ってとった行動が、父の人生を狂わせた。
狂わせたなんてレベルではない。
奪った。
だが、二人が追い詰められた理由に、二人の咎はない。
悪は他にいる。
理不尽としか言いようがない災難に遭遇し、逃げ道を塞がれ、どうしようもなくなった結果の顛末だ。
父も、娘も、互いの幸せだけを願った。
その祈りが、相手の人生を縛りつけた。
娘は父のために、栄光をつかもうとした。
努力しなければ、成功しなければ、父の行為が無駄になってしまう。
脅迫観念に近い気持ちが、堕胎につながった。
役者として成功のチャンスが来たところで妊娠したため、彼女は堕すことを選び、苗村の愛を喪った。
父は娘のために、人生を捨てた。
ただただ娘の幸せだけを願った。
秘密を守り切るために、殺すほどの相手でもない人間を殺めることになってしまった。
もとは心優しい人間だ。良心の呵責に耐えきれなくなる。
生きていてほしい、幸せになってほしい、という祈りは、いつしか呪いの言葉になって、二人の人生を縛りつけた。
父はふたたび、死を考えた。
すべての秘密を抱え、みずからの素性すらわからないようにして、この世から消える。
焼身自殺だ。
そうすれば、娘は呪いから解放される。
そうする以外に、娘を守る方法がない。
自分が生きていれば、必ず誰かに気づかれる。
気づいた人間は殺すしかない。
殺したくはない。
じゃあもう自分が死ぬしかない。
死んで消えるしかない。
父はそう考えたのだ。
「祈りの幕が降りる時」というのは、千秋楽の幕が降りる時でもあり、互いの幸せだけを願い続けた二人の祈りが終わる時でもあり、祈りという名の呪いから解放される時を指している。
少なくとも父は、自分が死ぬことで、娘が呪いから解放されることを望んでいた。
娘は拒否した。
解放されることを拒否した。
父は焼身自殺を図ろうとした。
全ての秘密を隠匿し切るには、誰なのかもわからない姿で死ぬしかない。
全身を焼かれて死ぬなんて、想像もしたくないぐらいに嫌な死に方だが、他に道がない。
もう誰も殺したくない。
楽になりたい、というのは、同棲していた女性に先立たれ、身体も老い、彼自身が人生に未練を持たなくなっていたこともあるだろうが、もう誰も不幸に巻き込みたくなかったということだ。
かつて父が死を図ったとき、娘は破滅的な行動を取った。
それが人生を狂わせた。
また、娘は破滅的な行動を取った。
一緒に死んでくれと言われたら、娘は迷わず炎に包まれることを選んだだろう。
だが父は、娘が生き続けることを願った。
自分の命の最後の使い道として、秘密を抱えて死にたいと願った。
娘は葛藤の果てに、首を絞めたのだ。
焼身自殺よりは苦しみの少ない最期のために。
父を解放するために。
苦しみに満ちた人生から解放するために。
互いの幸せだけを願い続けた二人の祈りは、皮肉にも呪いとなり、彼らの人生を縛りつけた。
父の首を絞めるという、最も残酷な形で、父を呪いから解放しようとした。
しかし、その行為は新たな呪いとなり、娘の心に永遠に消えない傷を残した。
娘は、一生、呪いから解放されることはない。
父の首を絞めて殺した。
その苦しみを、一生、抱えて生きることになる。
祈りの幕は降りない。
幕を降ろさない道を、娘は選んだのだ。
結びの一文としては「もし自分が彼らと同じ立場だったらどうしただろうか? 愛する人のためにどこまでできるだろうか? そんなことを考えさせられる映画である」みたいな言葉で〆るべきなのだろうが、もはや、そんな言葉で二人の人生を消費してしまうことすら、申し訳のない気持ちになった。
娘の心が癒える時が来ることを祈る。
娘が自分を許す時が来ることを祈る。
壮絶な愛の物語だ。