ぼっちザうぉっちゃー

さよならの朝に約束の花をかざろうのぼっちザうぉっちゃーのネタバレレビュー・内容・結末

4.1

このレビューはネタバレを含みます

これまで様々なジャンルで手を変え品を変え、「恋」や「友情」を描いてきた岡田麿里が、「愛」を描くとこうなるのか。

まず絵がとにかく美しい。
神秘的で、どこか廃墟的な空気もただようイオルフの村をはじめ、中世ぽいスチーム感ある欧風な街々。暗かったりごみっとしていたりしてもどこまでも繊細で壮麗な背景が目を潤す。

そして優しいcv沢城みゆきにぞくぞくしながら、最も衝撃的だったのはcv茅野愛衣。利発で、浮き沈みの激しい難しい役どころであったが、どのシーンからもしっかりとレイリアの心情の最も熱く冷たい部分が伝わってきた。

そしてやはり内容は、一筋縄ではいかぬ複雑な人情、群像劇が健在。
マキアの一族が持つ不老性を軸に、エリアルとの間柄は母子から姉弟、そしてさらに微妙な関係性へと色合いを変えていく。
それだけでも十分に面白いドラマの匂いが感じられるが、そういったミクロな物語を描きつつ全体のテーマとしてはさらにマクロなメッセージが感じられる。それらを象徴するのがヒビオルという存在。これは「思い出」だったり「記憶」だったりと言い換えられるが、人によってどのヒビオルを大事にするか、もしくはヒビオルそのものの捉え方の違いを知ることでドラマは核心に近づいていく。

今作はマキアを主役としているようでその実、描き切っているのはエリアルの人生である。その二人というのは、お互いがお互いの人生に言わば「途中参加」した「横糸」同士のようなものに感じられる。
ラスト、エリアルを看取ったマキアはその身体に一枚のヒビオルをそっと掛ける。それはマキアを絡めとりイオルフから連れ出したヒビオルであり、エリアルのもとへ導いたヒビオルであり、そして幼子のエリアルを優しく包んだヒビオルである。それは「エリアルとのヒビオル」である。これを置いていくという行為は、イオルフにとっての象徴的な「別れ」であり、ある種物質的な過去に囚われない次元への到り、ある不変の追想を獲得した瞬間にも思える。それこそが、「愛」である。「横糸」との交わりで生まれたそれは、これまでの自分を編み上げてきた証であり、やがてこれからの自分を編み続ける「縦糸」となるものだ。

こうした営みを繰り返して、ほんのちょっとの綻びさえも尊びながら、人は生きている。そして生き続ける。
新たな別れに、出会うために。