菩薩

スリー・ビルボードの菩薩のレビュー・感想・評価

スリー・ビルボード(2017年製作の映画)
4.0
世の中にはたしかに「善」と「悪」と言うのは存在するが、殆どの事はそんな白と黒とでは割り切れないし、そんな中間を漂う様々なグレーな物と対峙し、人間ってのは毎日を生きていかなきゃいけない。となると「許せる」か「許せない」かと言う話になってくるが、ここでもまた「許したくないけど許さざるを得ない」様々な物が生まれて来て、結局そんな「もどかしさ」ってのを抱えながら毎日を生きてかなきゃいけない。この「もどかしさ」はあらゆる物に変化が可能な代物で、時にプラスに働く事もあるけど、大抵はマイナスな物に、「怒り」だとか「憎しみ」だとか「失望」だとかに変わって行くし、そうやって積み重ねてきてしまった負の歴史って物は、「はい!今日で終わりね!」なんて言ったところで、消す事は基本的には不可能(日韓基本条約とか最たる例じゃない?)。そうやって一人で抱えきれなくなった「もどかしさ」をどう対処したらいいか、誰かと分け合うか、誰かにぶつけてしまうか、消え去るのを待つか、一時的な方法は色々あるけれど、一周回って帰ってくる事もあれば、沢山の人を巻き込んで更に膨れ上がってしまう事もあって、「もどかしさ」は人の世をいつまでも漂い続けていく。じゃあどうすればいいのか、分からない、分からないが、運が悪いと諦めてしまうしか無いのは、結局他人は自分の欲求を満たす為に存在している訳では無いからで、自分が出来ない事を他人にやれと求めるのは、どうしてもおこがましいって話になってしまう。だから運が悪かったと諦め受け入れるしかない、のだけど…の無限ループは死ぬまで付きまとってくる、大なり小なり不運は続くが、それを帳消しにできる幸福はそんなそこら中に落ちているわけではない。ツイてるやつはいつまでもツイてる、ツイてないやつはいつまでもツイてない、もどかしいのだ人生ってやつは、ままならないのだあらゆる事が、とこのレビューの様にグダグタグダグタと続いていくものなんだと思う。最後になったが一番「もどかしい」のは、娘二人置き去りにしてまでかました人生最後にして最高の青姦FUCKを俺らには見せてくれない監督の意地悪であるのは言うまでもない。
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