【J'ai mangé ton pancréas...】
私は食べたい
膵臓食べたい
君の膵臓食べたい
私は食べたい
髄まで食べたい
骨の髄 もう! 食べたい
ホルモン 放るもん
シビレに痺れ
君の膵臓食べたい
(作詞:CHE BUNBUN)
ってことで観てきましたよ、アニメ版キミスイ。ブンブンには厄介な斉木楠雄張りに超能力があり、映画の予告編等から、展開や化合物としてどんな映画の要素が組み込まれているのかが勝手に見えてしまう。故に純粋に映画を楽しめない。
それだけに、観たこともないような景色を魅せてくれる映画を追い求める。予想を超えられなさそうな作品は避けがちだ。去年話題になった実写版はこのような理由でパスした。しかし、今回のアニメ版はたまたま『アントマン&ワスプ』まで時間があったので、フリーパスで意を決して挑戦してみた。やはり、食わず嫌いはいけないので。
どうやら、新海誠のアニメスタイルは、ジブリ並みに一つの《型》として確立されたらしい。輝ける日常をバックにキャッチーな音楽が流れる。そして、心情を全てセリフで語る。エモーショナルな描写が映画を包み込み、最後の最後でさようならエモーションする。
忘れてたエモーション
僕は行く
ずっと深い霧の 霧の向こうへ
と山口一郎が語るように。
ただ、このテクニックは言わば映画、アニメの禁じ手。ましてや、小説でも行間や情景で心理を写すのが定石と言われている。要するに諸刃の剣だ。『秒速5センチメートル』のように説得力があれば別に気にならないが、本作の場合、陰キャラの《僕》が、ファムファタールに近い山内桜良に感化され取り乱されていく過程があっさりとしている。いや、周りのモブキャラが活かされていないだけに、心情の渦が生まれず、平坦な物語になってしまっている。平坦な物語に、心情語り語り描写を挿入すると、それはただの「臭み」となり、安いチェーン店で出されるシビレのように、美味しくないものとなってしまう。
結局、新海誠の仮面を被っただけのやっすい映画にしか見えなかった。無論、私のような客はお呼びではないと思うが。着地点も意外性こそあれど、うーん、そこか、、、と思ってしまった。