いわゆる多くの映画というものを本に例えるならば、2時間という時系列を持った小説的なものとドキュメンタリー映画のような専門書的なものに2分できると思うのですが、この映画はランダムな進行をし、その因果や時系列を持たない構造から詩的な映画だと感じました。
その起承転結という枠組みに押し込まれていない映画だったので、文芸的な映画を最近見ていなかった身としては少し見辛かったです。主人公こそいるものの、登場人物の群もスコープが絞られ切っておらず。
新文芸坐に貼られていた何かのチラシ?雑誌?における解説の紙によると『毎日の撮影は、フェリーニが前の晩に書き上げた2、3枚のメモにのみ頼って進められた。』とのことです。なるほど。
流石フェリーニということで脳裏に残る台詞やカットもたまにあるのですが、いかんせん普段見ている映画と文法が異なる映画だったので困惑しました。