津次郎

アイ・キャン・スピークの津次郎のレビュー・感想・評価

アイ・キャン・スピーク(2017年製作の映画)
2.5
本作は日本軍慰安婦被害者シナリオ公募展なるものの1位入選作品、とのこと。

書きかけの「アイ・キャン・スピーク」ウィキに──
『2007年のアメリカ合衆国下院121号決議採択前、公聴会で李容洙が証言したことに着想を得て制作されたものである。』
──とあった。

李容洙は韓国の詐欺師。

『身の上話を使い分ける才覚があり、2007年、米下院で「民間業者の甘言に乗せられた家出娘」を演出し、2週間後に来日して議員会館や外国特派員協会で「軍人が夜半に押し入り刃を突き付けて連行された」と語った。傍聴していた秦郁彦は、途中で付き添いの中年女性が何か囁き、米下院での証言の筋書きに切り替える場面を目撃したという。』
(ウィキペディア「李容洙」より)

その詐欺師をモデルにした映画。
公聴会以外すがすがしいほどのつくり話だが、こんなのと一緒にされてもっとも迷惑だったのは会に同席した(インドネシアで日本軍に売春を強要された)オランダ人女性(ジャン・ラフ・オハーン)や他のほんとうの慰安婦だったと思う。

ところでロシアのウクライナ侵攻(2022/04/22~)の只中にある。
いうまでもなくロシア人の世界観とウクライナ人のそれは違うものだ。
よって情報が錯綜する。
ロシアはウクライナがやったと言うし、ウクライナはロシアがやったと言う。
日本は西側なのでウクライナ側に立ってものを見る。
事実がわからないばあい、それも一つの観点といえる。

このねつ造映画も、ひとつの観点を提供している。韓国にとって事実か事実でないかは関係がない。李は日本から賠償金をせしめることを目的としているし、韓国は国際社会のなかで日本の評価が零落することで優位に立つことを目的としている。

映画を見るとき、リテラシーということばがよく使われる。
辞書には『読み書きの能力。また、ある分野に関する知識や能力。』とあった。
ウソの映画をウソと知りながら楽しむのもリテラシーだと思う。

だが、本作やおなじくねつ造映画の新聞記者や主戦場や軍艦島や金陵十三釵や鳴梁を信じている日本人はただのばかか、そうでなければサヨクだと個人的には思う。

『アメリカ合衆国下院121号決議
アメリカ合衆国下院121号決議に関する審議では、「日本は1994年以後、何回も総理発言を通じて慰安婦問題を謝った。一体いつまで謝りなさいというのか」「現在の日本が前の世代の過ちによって処罰されてはいけないだろう」(ダナ・ローラバッカー議員)「慰安婦の中で、283人がアジア女性基金からお金をもらっている」(スティーブ・シャボット議員)などの指摘に対して、イは5分だけ許された発言時間を無視して、1時間以上も発言を続け、「日本のお金を全部かき集めてくれると言っても、私は受けないだろう」と米国議員たちの前で泣き叫ぶパフォーマンスを見せて圧倒し、法案成立の一助とされた。韓国では、これを題材とした映画が制作されている。』
(同ウィキペディア「李容洙」より)

映画は世界の見え方を学ぶところでもある。と思う。
映像がどんな意図でつくられているのか知るとき、その情報にたいして冷静になれる。
プーチンがウソだと言うならゼレンスキーだって偽情報をやるだろう。
世界の趨勢に誠実な立脚点はない。
そのリテラシーを読めない人が映画なんかわかるはずがない。

しかしだからこそ、韓国のねつ造映画には一定の効用がある。
これを見てばかな日本人が左系へ転向すりゃしめたもの。
という意味において、やはりエンタメの品質は大事。
巧い映画だった。
津次郎

津次郎