krh

15時17分、パリ行きのkrhのレビュー・感想・評価

15時17分、パリ行き(2018年製作の映画)
-
事件の張本人に演じさせる、という半フィクション半ドキュメンタリーな異色作。アンビリーバボーの再現映像とは言い得て妙。サスペンスでもパニックムービーでもなく、ひたすらにヒューマンドラマ。

生い立ちや旅のシーンが長尺をとる。
先に何が起こるかわかっている私たちは、「この気質が裏目に出ないでほしい」「この経験が生きてほしい」「この選択が幸と出てほしい」と願ってやまない。期待に違わず、彼らの経験値をフルに生かしたあの短い時間の出来事が必然性を持っていることがわかる。もうそれは疑いようがないほど。

何か大きなことがあると、どうしてもその役割でしか人を見れなくなるけど、ポッと湧き出た「その場面の役割としての人物」なのではなく、今までの持ち得たすべてを、その場面で発揮したかどうかでしかない。彼らは身につけたスキルをすべてさらけ出したし、幼い頃から築いた関係を最大限に生かしたし、何度となく祈った「平和の人」の願いを迷いなく力に変えた。彼らのあの人生の積み重ねでしか、あの解決はありえない。

イーストウッドのフィルモグラフィを鑑みたら、この映画は急に思い立って撮ったわけじゃなく、イーストウッドが過去にやったことを最大限に生かしたらこうなりました、というのは明らか。
そういう部分からも、「じゃあ自分がやってきたことを生かしたら?どういう結果をもたらすことが自分にとって必然?自分をフルに発揮させたことはあるのか?」と、結構身につまされた思いになったりもしたのでした。
krh

krh