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それだけが、僕の世界のdm10foreverのレビュー・感想・評価

それだけが、僕の世界(2018年製作の映画)
4.1
【居心地】

僕の友人は韓国映画が大嫌いだと言って一切見ない。理由は単純「韓国が嫌いだから」。
(そうなんだ・・・結構面白いのもあるんだよ)
と言うと決まって「dmは韓国好きなの?」と返ってくる。
多分彼とはこの辺の議論は着地しないと思うので、自然と映画の話はしなくなった。
個人的に日本と韓国の「国家間の揉め事」は見ていて辟易する。どっちがいい悪いではなく「それが大人のすることか?」と。
お互いにね。
ただ、それとこれとは話が違うし、スポーツや文化に関しては国境はないと思っている。
勿論意図的に他者を傷つけたり貶めたりするような作品は許せないけど、それも国籍に関係ない話だとも思う。

で、やっぱり韓国映画ってひとつのブランドと言ってもいいくらいに作りに安定感があると思う。
良くも悪くも地力を感じる。
先日の「ファイティン」なんかでもそうだったけど、一見地味な設定でもグイグイと推進力を持って展開するストーリーは日本映画とは違った趣があって、それはそれで面白いと僕は思っている。

今作も物語や設定自体は何度も使い古されてきたようなものかもしれない。だけど、やっぱり観てしまうし引き込まれてしまう。

――――中学一年生の時に母が家出し、酒乱で暴力しか知らない父が逮捕されてからは、40歳になる今まで一人で生き抜いてきたジョハ(イ・ビョンホン)。
偶然街で母と再会するもどう接していいのかわからず戸惑う。
泊まる家がないのなら家にくればいいと連れていかれた「実家」には自閉症の弟ジンテがいた。
ぎこちない同居生活で何かとジョハに気を遣う母。
一方のジンテは極度の自閉症ではあったがピアノの才能は光るものがあった。
彼は楽譜が読めない代わりにYouTubeの映像を耳で覚えそれを完璧にコピーしていた。

それこそ前述の「ファイティン」のような『離れていた家族の再生もの』です。
ただ、そこに至る過程で「家族っていいよね」「絆って大事だよね」と押しつけがましく来るのではなく、今まで離れていたことでできてしまった距離(溝)っていうものはやっぱり大きくて、でもそれを否定するでもなく「近づきすぎず、離れすぎず」という言わばパーソナルスペースのような距離感を保ちながら接していた。
そりゃそうだよ。
いくら家族だからと言ったって今まで10年以上、それも心に抱えるモノもありながら離れて暮らしていたんだとしたら、再会して「はい、今日からまたよろしくね」ってなれるかな・・・。特に「捨てられた」と思っていた相手が「居なくても自分は大丈夫」という気持ちでなんとか生き抜いていたところに再び現れられても・・・。

・・・多分、これは僕自身の生い立ちにも似ている部分でもあり、ジョハの心境はよくわかった。
だからこそ都合よく「家族ごっこ」を再開させることにどこか違和感を感じていたんだと思う。

でもお母さんの立ち居振る舞いは切なかった。決して過去のことだってお母さんだけを責めることは出来ないと思う。全部悪いのはあのクソ親父だから。
奴は最後の最後まで安定感たっぷりのクソ親父だったけどね。

お母さんは自分の病気のことがわかっても、息子たちには絶対にそれを知らせずに振舞っていた。
それでジョハにジンテを背負わせてしまうのも嫌だったし、何よりジンテを残したまま・・という事を自分自身が認めたくなかったから。

母の病気を知ったジョハは病院へ駆けつけ、お互いの本当の気持ちをぶつける。

「何故あの時俺を置いていった?俺はまだ子供だったんだ!親父が酔っ払っているときは俺は板の間で寝ていたんだぞ!俺は父さんも母さんも許さない!」
「・・・許さなくていいんだよ。・・・もし私がまた生まれ変わったら、今度はあなたの為に生きるよ。あなたに出来なかったことを全部してあげる・・・」

お母さんがジョハへ語った最初で最後の本音・・・

一方、ジンテの弾くピアノは様々な人々の心に届き、色々な偶然やちょっとした奇跡から彼は特別公演会へ参加することになる。
彼は「オ・ジンテ」として周囲に一人の人間として認められた瞬間でもあった。

そうこれが彼の世界。

ジョハは病院からお母さんを連れ出し公演会の会場へ連れて行く。
そしてそこで万雷の拍手を浴びるジンテに「一人の人間として世界に羽ばたいた息子」を見たお母さんは声を殺して嗚咽する。

公演終了後、病院へ駆けつけたジンテだが、お母さんの病気という事実がイマイチ理解できていない。
しかし二人の何気ない雰囲気を見たジョハはこっそり気づかれないように病室を後にする。
そこは今までジョハがいない間に築かれていた「ジンテとお母さんだけの世界」。

「家族だから」だけで無条件に信頼し合えるなんてのはただの幻想。
「家族だから」こそ、衝突があって距離感がわかってお互いの居心地のいい場所と認めあえるから、そこから信頼が生れるんだと思う。

適度に織り交ぜられるコミカルパートと安定の感動パートの比率もちょうどよく、すっきりとした気持ちになれる映画でした。
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