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愛の嵐 ノーカット完全版のotomisanのレビュー・感想・評価

愛の嵐 ノーカット完全版(1994年製作の映画)
4.2
 ヒトラーがこれを見ないで死んでしまったのは残念だ。ヤバい二人が銃殺される後ろ姿の廃人同然がやけによく馴染んでいて、いったいこれが本望だったか?少なくともマックス元所長、ひとり遺されるより余程ましだったろう。十七年の無沙汰でルチアがどれほど熟したか、ひとたび地下に潜りまた這い出てもその道の達者で何かと余得もあったろうが、それもルチアのおかげか。はたまた、ルチアもどれほどの飢えを凌いできたものか。ルチアの御礼奉公にはアーレントも絶句悶絶間違いなし。
 収容所秘話というべき破廉恥譚だが、なぜだろう何の疑いも無く受け止めてしまう。同じ'70年代、収容所を舞台に人体実験だの破廉恥人体剥製をこさえただのどこまで本当でどこから捏造なのか分からん感じの話が横行していたが、この悪趣味の極みがどこか突き抜けた感じの男と女の腐れ縁的ベタベタに還元される様子が妙に恩讐を忘れたアンタと私以外何も無いような、実際何も失くして死んでゆくのが、だからなに?という感じでよい。
 その「だからなに」ないっとき、あの悲劇を繰り返してはならないとか、人権の蹂躙も幸福の独占も許すまじと叫ぶ心がどこかに消えてしまうような、いまだに史上最悪の最新版維持的な出来事の醸成したところがやっと当の二人のもとに回帰したかのようにおどろおどろしくもあの日々の熟成版のごとく叶ってしまい、この奇蹟にやはり悪魔は実在するのではないかと、あの廃人二人の後ろ姿こそ、二人して何かを悪魔に引き渡したのちの生きた残骸であろうかと思われて止まない。
 ヒトラーがこれを'57年に眺めて、地上の浄化の聖戦を臣下自らが穢す忌まわしさにどれほどの怒りの出力が見込めるだろう。悪魔なればこそ、ヒトラー特需でたんまり稼いで、精々人間万事かくの如くあらまほしと喜ぶところだろう。それにしてもルチア、いかなる器でありつるや?
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