ひれんじゃく

万引き家族のひれんじゃくのネタバレレビュー・内容・結末

万引き家族(2018年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

観ていてずっと辛かった。自分の運の良さに感謝しつつ呪いたくなった。私はたまたま非常に良い環境下に生まれることができただけなのだ。たまたま恵まれた家庭を引き当てることができただけなのだ。この環境は決して当たり前ではない。当たり前だと思ってはならない。当然だと思った瞬間から、貧しさに対する感覚を永久に失うことになる。ただの何も考えない、共感しない金持ちに成り下がる。
そんな私は、この家族に対してどこまでも他人でいることしかできない。

最近Twitterで見かけた記事の中に、「なぜ無能な自民党政権は未だに支持されるのか」というものがあった。その中で「日本人は誰かが誰かに対して批判をする時、その両者が同じ立場にいないと批判をするべきではないと考える傾向にある」と述べられていたことが忘れられない。ゆえに「総理大臣を批判するのならお前が総理になってから言え」という一見意味不明な反応が返ってくる場合があるのだそうだ。
だが、特に貧困に関して語ろうとする時だけは、同じ立場にいなければならない。そうでない限りはどこまでも他人行儀で、距離を置いた意見しか出ないように思われた。同じ立場にいる、もしくはいたことのある人でなければ絶対に分からない痛みがある。そう思わされた。ラストの警官たちの厚かましさ。司法に属する者として当然の反応なのはわかる。だがてんでお門違いのことを偉そうに述べる姿に血が沸騰するほど腹が立った。何が家族だ。血の繋がった他人よりよっぽどこっちの方が「家族」ではないか。
社会はどこまでも彼らに冷たい。どうすればもっと寄り添えたのか。同情は結局懐に余裕のある人のみが持つ特権でしかないのではないだろうか。福祉とはどうあるべきか。同情とは。
なによりこの映画も、結局は「恵まれた者が恵まれていない者を外から撮った絵空事」に過ぎないのが1番辛い。ジョーカーやパラサイトと同じ。私たちはここで造られた貧しさを観ることしかできない。

ドキュメンタリーではないということを常に念頭に置かなければならないと思いつつ、虐待されていた女の子に想いを馳せてしまう。結局虐待は見逃される。彼女は「正しい」家族の元に返される。しおらしく「娘」の帰宅を喜ぶ両親の声を、ドア1枚を隔てて聞く女の子。
家族なんて糞食らえだ。血の繋がりなんて呪いだ。万人にとって家族はよいもの、万人にとって結婚して子供を作ることが幸せ、などという社会にはびこっているこの幻想は捨てなければならない。そのような意見の押し付けはいい加減にやめなければならない。家族に属すること、家の血を引くこと、受け継ぐことで生まれる拘束は、必要あらば素直に身を引かなければならない。それがある人間ひとりの生き方を拘束するなんて言語道断だ。
子供は生まれてくる場所を選ぶことができない。生まれ落ちた環境が子供にとっては全てなのだ。親にしかその環境を整えることはできない。私の中で子供を産むことに対する抵抗感が強まった感がある。全て親のエゴではないか、と。その子にとって幸せな環境を作ることができるのか。その子の生涯全てに責任が持てるのか。その問いに胸を張って迷いなくイエスと答えられる覚悟がなければその家族に幸福は来ない。
最後、女の子は何を見たのだろうか。彼女にとって幸せな結末であってほしいと願わずにはいられない。

犯罪を肯定したい訳ではない。生きるためとはいえ万引きは犯罪であり、どんな場合でもやってはならないし殺人ならなおさらだ。だが、「家族というものを一義的に定義するべきではないのだ」というメッセージには深く頷かざるを得ない。全てにおいてそうだとすら思う。一方的な見方のみで得た見解を、万人に当てはまるとは考えてはならない。多様性の時代を生きる者として、強く心に留めておきたい。
ひれんじゃく

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