【人生のレシピの話】
おいしそうな香りに誘われて映画館へ。
『彼が愛したケーキ職人』観ました。
「恋人」を不慮の事故で失ったケーキ職人の主人公トーマスと、「夫」を亡くし女手ひとつで息子を育てるアナト。ベルリンの彼とエルサレムの彼女。「同じ男性」を愛したふたりを結びつけたのは、ケーキだった。
トーマスのケーキにはひみつがある。
彼は生地にそっと悲しみを閉じ込める。オーブンで焼き上がる頃にはきっと柔らかい儚さへ形を変えるから。それは、甘い味よりも先に優しい香りを、本当に必要な人へ届けてくれるから。
カフェを営むアナトのコーヒーにはひみつがある。
彼女は悲しみを苦味で誤魔化す。その香りで痛みを紛らわす。そっとミルクを入れたら、消えない傷も柔らかくなるから。同じように喪失感を抱えた人に、寄り添うことができるから。
愛してしまったケーキ。
忘れられないクッキー。
気まぐれに見せかけたエスプレッソ。
人生という名の“お菓子作り”に必要なのは、甘いエッセンスではなく、隠し味の涙なのかもしれない。
鑑賞後、残る後味はケーキのような甘さか、クッキーのような香ばしさか、あるいは、カプチーノのようなほろ苦さか。
ささやかな喜びと涙で、自分にしかできないブレンドを生み出したい。
そんな小さな希望をプレゼントしてもらえる、静かで温かい映画だった。