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グッバイ、リチャード!の都部のレビュー・感想・評価

グッバイ、リチャード!(2018年製作の映画)
2.5
本作は残り僅かの余命と向き合うことを決めた男の迷走をジョニーデップのユーモラスを噛ませた演技により構築された作品である。一方で男の周囲との関係性は散文的に語られるのみで深みがなく、作品は緩慢であるがどちらかと言えば忙しなく落ち着きがない話と感じさせる。

大学教授としての立場を通した最後の授業を生徒達に執り行う姿が序盤から語られ始めると物語は一貫した軸を持ったように思えるが、同時進行する友人として、夫として、父親として、と欲張りなドラマの処理が立て続いて浮上し、そのどれもが断片的で人生の一部をトリミングして繋ぎ合わせたような違和感を抱かせる。

人生の不足を半年間で取り返そうとする男の動きとしてそれは間違いではないのかもしれないが、この男のそれまでの人生が語られることのない本編からその『不足』の全てを見出すことは難しく、半端に夫婦関係の破綻が切り口として語られるが『なぜ破綻したのか?』というアプローチは成されずに表層的な後悔ばかりが作中で連続している。

レズビアンである娘に対する助言も、今の時代ではまだセクシャルマイノリティに位置する彼女やその属性に如何なる思想を向けていた/向けているのが不透明であるため、規範に則った『良い父親像』の枠に留まっているのでエモーショナルな情動の発火点としては弱い。

そして生徒達との交流だが中盤以降はまるでその物語が語られないので、中途で縦軸の一つが打ち切りを食らったような所感すら抱いてしまう。リチャードは生徒達に。未来ある若者に対するエールを送るがその発言に至るドラマは積み立てられておらず、前述した縦軸同様にその言葉が重みのないものとして浮いている。

そうした形でまともにこなしているドラマがこの映画には一つもなく、実態は『良い話風』のエピソードと発言ばかりで実がない。
構図だけを切り取れば幻想的なラストシーンも、リチャードのそこに至る気持ちは察することが出来ず、解釈や余白を残すというよりは物語における人物描写の不足を誤魔化すような語りの振る舞いすら感じさせられると言える。
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