最初に「I am am」とされたタイトルが「I amSam」に変化します。
amには「S」が欠けていることが暗示されますね。そのSはsenseを想像させます。senseは感性とともに理解力や判断力なども意味しますからね。
知的障害を持つためサムは、養育能力がないと判断されて、娘のルーシーを施設に保護されてしまいます。
ルーシーを取り戻すべくサムは法廷に立つことになりますが、そこで問われるのが、親が子を養育していくために必要な能力とは何か?
サムの心から湧き上がる愛情と責任感そしてルーシーとの強い絆。それこそが親子としてともに生きていくために必要な最も尊い能力だと弁護士リタも気付かされます。
常識にとらわれて、日常的に忘れてしまっている「S」の別の側面を、サムの言葉と行動の進行とともに止まらなくなる涙で、私たちも気づかされます。
いじめや虐待が社会問題となっている今日にあって、多くの人に見てほしい映画の一つです。
いつもながら、ショーン・ペンの見事な演技に脱帽です。