このレビューはネタバレを含みます
アリ・アスターといいジョーダン・ピールといいアメリカの新味あるホラー枠の映像作家は元気だな。
アメリカのホラー映画って長らくジェイソンだのフレディだのが看板を背負っていたイメージがあって、もちろん『シャイニング』とか『ミザリー』とかキング原作の存在感も光っていたものの、怖いというよりもびっくりしたり、気持ち悪いと感じたりする要素が強かったと思う。
『スクリーム』だったり、『SAW』のようなこれまでのホラーを念頭に置いたような作りのものが流行ったり、『ブレア・ウィッチ』や『クローバーフィールド』のように誰かが撮った映像っぽさ(リアルっぽい感じ)を出したり、その時々の主流があって、ここ最近は世界的にも長いことゾンビ(ここ最近のゾンビはもはやホラーとは別ジャンルだと思うけど)が席巻していた。
やっぱり、いずれもわっと驚かされたり、グロい鮮血シーンが怖さの焦点で、しんしんと怖いようなものはどちらかと言えば稀だと感じていた。ただ、アリ・アスターもジョーダン・ピールもそういう雰囲気を持った監督で、これは本当に大歓迎。
これまでこういう怖さはホラーじゃなくてスリラーとか呼ばれていたような気がするけど、脅威の対象が怪物や怪異ではなくて、大抵は人間だったりその妄執のようなものってのがいい。怪異ってどこまでいってもファンタジーで、こちらのコンディションによっては全然怖さに乗れないこともある。
結局は人間が一番怖い──ってものすごく陳腐だけど、根源的で卑近で普遍的で結局のところ最も響く。この映画では降霊にまつわる怪異というか超常現象が根幹にありはするけれど、それ自体はそれほど怖くなくて、むしろそれに縋るアニーたちの方がよほど怖い。
あの降霊やペイモンについて、どの程度の解像度で捉えればいいのかがいまいち判らなかったけど、途中で燃え死んでしまったアニーの夫は「なにを言ってるの?」という雰囲気を出してたから、そのぐらいの距離感が正しいという世界観なのでしょう。
だから、それなのにどんどんおかしくなっていくあの人たちこそが“怖い”ということでいいのだと思う。次々起こる厭なことが絶妙な塩梅で、チャーリーのピタゴラスイッチ的な事故死からあとは「うえぇ」と顔を歪めたまま最後まで一直線だったし、ピーター気の毒過ぎる。
こういうホラーはとても好物なので、今後もアリ・アスター監督の活躍を祈っている。それにしても、チャーリー──ミリー・シャピロの存在感が際立ってたね。