いとJ

タッチ・ミー・ノット~ローラと秘密のカウンセリング~のいとJのレビュー・感想・評価

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・とりあえず書いておかなくちゃ、と思うのは、本作の公式サイトに掲載されているあらすじ(これはFilmarksにも転載されている)に間違っている部分があるということ。次の2点。

①「ローラは彼らを興味深く観察する中で、自分と同じような孤独感を持つトーマスに惹かれる」

「自分と同じような孤独感を持」ったから惹かれたと書いてあるが、なぜローラがトーマスに惹かれたか、という理由は劇中では明示されていなかったはず。これは書き手の勝手な推測。推測であらすじを書かないで欲しい。

② 「街でトーマスに導かれるように秘密のナイトクラブへ入ったローラは、そこで欲望のままに癒し合う群衆を目の当たりにするのだった」

自分の記憶では、ローラがナイトクラブに行くシーンはなかったと思う。ローラの話とトーマスがナイトクラブへ行く話は全く繋がっていないのに、あらすじを書くために無理矢理繋げてしまったのだろうか。ちゃんと映画を観て、映画に即して書いて欲しい。もちろん、この映画を筋立てて説明するのは難しいと思うけど。

あと、もはや揚げ足取りになってきているとも思うが、「ローラは、寝たきりの父親の介護で通院する日々を送っているが、彼女自身も人に触れられることに拒否反応をおこす精神的な障がいを抱えていた」というところ、「送っているが」のように「が」を使って文章を繋ぐと、逆接なのか単純接続なのかわかりづらい。まあ、読めば逆接ではないとわかるが、「が」を使うときは逆接に限ったほうが読みやすいので、書き手の方は、もう少し丁寧にあらすじを書いて欲しい……と思った。

・本編について。セラピーに関する内容であるとともに、観客もカウンセリングを受けているようだ、とか観客自身を映し出す、といったコメントがあり、自分もそう思う。

ドキュメンタリーとフィクションの境界を崩すような演出や配役、また観客側に向けられたカメラ、説明なしに次々と状況を映し出していく語り方は、観客に映画との「対話」を促す。観客は、ただ観ているだけでは済まされない。示されている事柄を自ら繋いで解釈する必要に迫られる(逆に言えば、本作は観ていれば話がわかるような親切なものではないため、自分で解釈していくのが嫌な人にはとてもつまらないものになる)。

観客はそのような巧妙な仕掛けに促されて映画と対話をするなかで、社会的にタブーとされてきたマイノリティと性の問題に向き合っていくことになる。差別や排除、ステレオタイプ化を中断させ、観客自身にこれらの問題(また、これらが問題化されること)についての再考を促す啓蒙的な内容。

・音楽が印象的。言葉になっていないような声をサンプリングしたものや、「メラメラメラメラメランコリア〜」という曲が各所に流れる。「メランコリア〜」については、ちょっと面白くて笑ってしまう。

・構図がいちいち格好良い。ドキュメンタリーを装った内容でありながら、フィクション性が構図によって強調される。
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