すずや

ウトヤ島、7月22日のすずやのレビュー・感想・評価

ウトヤ島、7月22日(2018年製作の映画)
4.2
真実はひとつにあらず。
エンドクレジットで流れるこの監督の但し書きが全てだと思う。この映画はカヤの視線から無差別テロを見たものにすぎず、そのテロのすべてを描いているわけではない。1人の目から見た凄惨な光景が強く心に残っている。

90分、とても長かった。主人公カヤに同調したように、常に強い緊張に晒される。
銃声、叫び声、携帯のバイブ音、鳥のさえずり、波の打ちよせる音、誰かが怒鳴る声。音楽が一切流れないこの映画では、常に周りの音を強く意識してしまう。緊張して張り詰めた空気が一切途切れない。犯人に気づかれれば撃たれる、そのことが頭から離れない。銃撃が始まってからはほとんどのシーンが主人公の顔を映しているので、彼女が何を見たのか、私たちにはわかりようがない。音から想像するだけ。その恐怖が半端なものではない。

事件はオスロでのテロから時間をおいて起きるが、大した情報もないまま、何が正しいのかわからないまま逃げ惑う恐怖も描かれている。「犯人は警官だった」「じゃあ警察が私たちを撃っているの?」通報後の「警察に言われた通り隠れていよう」「信じるの?」といった疑心暗鬼な様子は恐怖でしかない。何が起きているのかわからないまま逃げ惑うしかない恐怖もまた、この映画を構成する大きなファクターになっていた。
さらには一人称の映画なので、カヤから見えなかった部分の真実はわからない。私たちが"テロ"と呼んだその事件には、あまりに多くの人の一人称があり、見落としている真実もあるのかな、と思う。

最後の一人称の視点の転換で打ちのめされた。

近年の多文化主義、移民を受け入れる動きに対する極右の動きに警鐘を鳴らす部分が強い映画だが、このような事件が再び起きてはいけない、と痛感させられた(少し陳腐になってしまった)。無差別テロは生々しい殺人であるということを忘れてはいけない。
果たして日本に同じ映画が作れるだろうか、という評論が胸に刺さった。
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