まぬままおま

クレアのカメラのまぬままおまのレビュー・感想・評価

クレアのカメラ(2017年製作の映画)
4.5
ホン・サンス監督作品。

かなりおもしろい。名作です。

物語はなんともないんだけど、そのなんともなさを面白くしていることがすごいし、映画の芸術性を実感できる。

あらすじ
主人公は映画会社の社員のマニ。彼女はカンヌの出張中に、突如女社長のナムに解雇を言い渡される。マニは理由も分からず当惑するが、カンヌに残ることにする。一人で海辺にいくとカンヌ映画祭にはじめてきたフランス人女性クレアと出会う。クレアは映画監督のソ(ナムの映画会社と同行している)と偶然出会っており、ナムとも食事を共にしていた。
クレアの話を通して、実はソ監督とナムは恋人関係であり、マニはソ監督と情事を重ねていたこと、それを知ったナムが嫉妬し解雇したことが徐々に分かってくる。
ソ監督とナムは、マニのことがきっかけで別れ話になるが、出会ったころを思い出し、よりを戻す。ナムは最後にマニを呼び出す。そしてマニは再び会社で働きはじめたようである。
おわり

あらすじは大方時系列に沿っているが、本作は時系列をぐちゃぐちゃにしてシーンを配置しているのである。例えばクレアはナムより先にマニに会っているが、クレアとナムが出会うシーンを先に置いている。

このようなシーンの配置は、私が解釈した本作のメッセージに反映している。クレアはカメラが趣味であり、マニやナム、ソ監督も撮っていく。そこで、「写真を撮ることは大事。…一度写真を撮るとあなたは別人になるから」という。
写真は現在の現実をフレームに収めて有限化する。そのことはつまり、写真によって現在が過去の出来事になり、それをみる〈私〉が生まれるのである。すると写真を撮る前の〈私〉と撮った後の〈私〉は別人と解釈できるのではないだろうか。
このことが写真の芸術性であるとするならば、活動写真と呼ばれていた映画にも同様に考えられ、またその芸術性を拡げるものがあるのではないだろうか。
それが写真を連続させること≒ショットで生まれる新たな時間と出来事の物語化である。
ショットによって時間をつくる。そしてショットを束ねてシーンにする。時間をつくることで出来事に運動が起き物語が生成される。さらに編集によって時間を遡ったシーンの配置が可能になり、時間を省略することも可能になる。このことは鑑賞者の想像力を掻き立て、物語を補うことも可能にする。

実は、本作の最初のショットと最後のショットは、マニが会社のオフィスで働いているものである。最初のショットではその後マニはナムに呼び出され、解雇を言い渡されるショットに移動する。最後のショットは、その前にマニがナムに再度呼び出され、そこから移動し再び働きだしたショットのようである。しかし服装は一緒であり、同じ時間の出来事のように想像される。
そうであるならば、物語の辻褄が合わなくなる。果たして最初のショットと最後のショットは同一なのか…そうであるならばマニは解雇されたままなのか…はたまた最初のショットのマニは再び働き始めたマニであり、その過程を描いた物語であったのか…謎は謎のままで終わるのである。

しかし確かに言えることは、最初のショットのマニと最後のショットのマニが同じ人であっても、映画の芸術性によって物語が生起され、物語の行間を私たちが想像することによって別人のように思えるということである。

この映画の芸術性を体感できて感激です。

蛇足
ホン・サンス監督特有の長回しとズームアップの演出も最高です。