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ブラック・クランズマンのmoneのレビュー・感想・評価

ブラック・クランズマン(2018年製作の映画)
3.9
非常に、非常に胸がえぐられました。
何かを憎むことでしか、正気を保っていられない、なぜ、蔑むでもなく同情でもなく、手を取り合うことがこんなに難しいのか。

虐げられたという憎しみが、皮肉にも団結の核になる。乾いた心には、甘い言葉が染み渡る。残虐な行為が、勇敢な行為にすり替わる。

あれだけ暴力的で過激な排除思想は日本にない感覚だと信じているが、それは他者を徹底的に排除してきたからではないかとふといま踏みしめている大地が怖くなった。
(しかしオウムのエリート選民思想も全く一緒だから学んでもらわないと困る)(けど企業や学校の中では根深くよくあることなのだ)

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追記

観てから1週間近く経つがずっと胸の中にしこりとして残っている。
2017年という数字が離れない。悲しさと無力さに押しつぶされそうで、同時に自分はその感情に酔ってる偽善者ではないかという軽い罪の意識に苛まれ続けた。スパイク・リーのせいで感受性めっちゃ豊かになってしもたやないか。笑

「かつてこんな差別がありました。だから他者を慈しみ、平和で平等な社会を築きましょう。」戦争を憎む社会に生まれたわたしは、物語、歴史を通してこのような文言を繰り返し繰り返し刷り込まれてきた。
だから多くの人がそうであるように、誰かが理不尽な理由で蔑まれ虐められているところを見ると、可哀想だと思う。すごく不快な気持ちになる。ただ、それは同情に他ならないのではないか。それはすごく失礼なことではないか、誇りを傷つけているのではないか、他人事だとたかをくくっているのではないかと考えていた。だから社会から排除された人々に、どういう感情を持てばいいのか分からなかった。

その結果考えたのは、100人が100人お互いを憎まずみんなが手を取り合う社会は、決してありえないということだ。
これは決してネガティブな意味ではなく、黒人、白人、アジア人というくくりで人を見てるから、いろいろ摩擦が起こるのではないかと思う。目の前の個人が持つ問題を、(あるいは自分自身の欠陥を)民族全体の問題にすり替えてしまうから、 悲劇の血が流れるのだ。
個人の持つ性格、趣味嗜好を尊重することから始めようと思った。だから、目の前のやつが気に入らないという感情は悪では無いと思う。それと真摯に向き合うことから逃げなければ、多くの人間を巻き込む不可思議な殺戮は少なくとも起こらないのではないか。

完璧な人間はいない。傷つけられたり傷つけたりの繰り返し。嫌なところもたくさん見る。しかし嫌いという感情があるから、好きという感情がはっきり手に取るように感じられるし、愛せると思った人間に出会えた時、その奇跡的な出会いに感謝することができる。いま考えられるのはそれくらい。
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