レバノン、少し調べてみたが、経済水準は世界の平均レベル、とのこと。可もなく不可もなくという国でも、この作品に描かれているような現実はまだあるよ、ということを伝えたかったのだろう。
存在が公的に認知されていない人間は、どの国においても一定数いる。この日本では戸籍制度があるが故に、その制度からこぼれ落ちてしまっている者が絶えない現実があるが、その数が余りに少数であるからか、未だ制度の改廃には結びついていない。
そういう点があるにせよ、50年というスパンで比較したら、今は確実にマシになっているはず、と私は思う。
この作品でも、少なくとも助けを差し伸べようとする者たちがいたからこそ、主人公の少年は法廷に立つことができた、といえる。昔であれば、その声はかき消されたまま、どこかの谷に消えていたのではないだろうか?
どこかしこかにマイナスの側面があることは心に留めつつ、どの国でも子供の数は減る(経済的豊かさを手に入れて)といった現実のデータと照らし、自分のできることを淡々とこなしていこう。改めてそう思った。