画々映子

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話の画々映子のネタバレレビュー・内容・結末

3.3

このレビューはネタバレを含みます

疾病がもたらす障がいと、周囲によってつくりだされる障がいについて考えさせられる映画だった。

初めは、鹿野について、障がいと「自分に正直に生きる」という言葉を盾にとんでもなく周囲を振り回すタチが悪い人物だと嫌悪感を抱いてしまった。特に、人に迷惑をかけることを厭う日本人にとっては受け入れがたい人間性だと思う。

でも、観ていくうちに、鹿野は本当にして欲しくてわがままを言っているのではないんじゃないかと感じた。
もし、2時にバナナを食べたい、買ってきて欲しいと行ったのが、鹿野ではなかったら。ふざけんなよとか、我慢しろよとか、自分で行ってこいよとか、ツッコんだり嗜めたり怒ったりするだろう。じゃあ、なぜ鹿野にはしないのか。「障がい者の要望は断っちゃいけない」と感じているのは、鹿野に病気以上の障がいを与えてしまっているのは、私達なんじゃないか。
「自分に正直に生きる」ことは、必ずしも他の人を犠牲にして成り立つものではない。バナナが食べたいと思ったとき、それを口に出してみる。当然断るよなあと思いながら、買ってこいよと周囲に甘えてみる。そんな些細なやり取りをする権利は、障がい者にだってもちろんあるのだ。
だから、「障がい者ってそんなに偉いの?障がい者だったら何言ってもいいわけ?」と言った美咲は、初めから一番鹿野と対等に向き合い、差別を払拭できていたのではないかと思う。だから鹿野は美咲を好きになったし、皆の前でプロポーズを断られても、むしろ鹿野は嬉しそうに見えた。田中だって、死んだドッキリをかけた鹿野に対し本気で泣き、怒ることができた。そうやって、誰でもやっている本音同士のぶつかり合いをしたかったんじゃないか。バリアフリーを目指すには、物理的、社会的な課題はもちろん、そういう精神的な対等性の課題も認識されるべきだと思った。
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