アストル・ピアソラを知らなくても『リベルタンゴ』を聴いたことがない人はいないのでは?という位、有名な楽曲♬🎶
今、安倍首相、辞意表明のニュースを目にしながら、耳はリベルタンゴが響いている♬
アルゼンチンタンゴに携わっていた者として、沢山聴いてきたし、知識も持っている。
それこそ、数えきれない程のCDもブエノスアイレスで購入した。
このドキュメンタリーは息子のダニエルが父を語り、その姉ディアナが父と対話するテープが流れる。家族のプライべートフィルムが、ニューヨークやブエノスアイレス、パリのその時々の映像を映し出す。
ピアソラは生まれた時から右脚が曲がっていたという。1歳になって7回もの手術をし、その後に一家はNYに移り住んだ。
父親がユダヤ人街で中古のバンドネオンを購入してから音楽を学んで行った。
アルゼンチンタンゴの事をここで語ると紙面が足りないので割愛するが、元々アルゼンチンタンゴの曲は踊りがメインで伴奏曲として成り立っていた。
それをどの世界にも新しい風が吹くものだが、アストル・ピアソラによって、脇役から主役のアルゼンチンタンゴ曲♬として生み出された。真の革命児であった。
だが1960年頃は、故郷に戻っても風当たりが強過ぎてなかなか理解してもらえなかった。
それで1度はバンドネオンを封じ込め、パリに渡り楽曲や指揮の勉強を始める。その師匠から認められたものの "らしさ" を感じられない!と言われて、またバンドネオンに戻った時、師匠から "これこそピアソラ楽曲" と太鼓判を押され自信を付けて故郷に返り咲く。
実際、ピアソラの曲では踊れない。というかショータンゴのような魅せるダンサーが脚技を沢山入れて踊る事があっても、それは別物の踊りになってしまう。
フィギュアスケート⛸では良く使われますね。スピード感がありますからね♬
ピアソラは俳優のようにイケメン。若い時は喧嘩っ早くワルもしたようだが、理解ある妻と出逢い幸せな家庭を持った。おどけたりユーモアも持ち合わせていたようだけど、やはり音楽家となると家庭を留守にする事も多かったようで、段々と家族が離れ離れになってしまい、息子は10年間全く疎遠になっていたと言う。
亡くなる1年前にやっと話せるようになり、一緒にピアソラの好きなサメ🦈釣りをしたらしい。
ピアソラは『過去を振り返るな。昨日成したことはゴミ』と言い、常に前を見て、前日に書いた曲を破り捨てていたそうだ。
溢れる泉を持ち、果敢に常識を破り、新たなる世界を創り出してくれた。
斬新で、洒落ていて、気持ちが揺さぶられる曲♬
ピアソラが好きか嫌いか?ではなく...
それがピアソラという音楽なのだ🎶