きりとし

THE GUILTY/ギルティのきりとしのレビュー・感想・評価

THE GUILTY/ギルティ(2018年製作の映画)
5.0
filmarksのスニークプレビュー試写会にて鑑賞。
上映が開始されるまで何が上映されるか分からないという意欲的な試写会。
もし仮に外れ映画でも仕方ないなぁと思いながら参加したものの、まさかの今年一番の衝撃作!!
また一つ新しい「映画」の形を体験した!

この手のエッジの効いた意欲作を人に勧める時は、ゴチャゴチャ言うより
「とにかく観て!観ればわかる!観ろ!」
という一言に帰結してしまう。


デンマークのコペンハーゲンで緊急通報室で電話番を務めるアスガーが主人公。
酔っ払いや軽傷者などの冷やかしまがいの通報も含めてアスガーは今日も淡々と職務をこなしていき、ある一本の通報を取ったところから物語はスタートする。
所々からこの主人公が元刑事で今の電話番は謹慎先の職場であり、刑事復帰を求めて翌日に裁判を控えていることがわかる。
左遷先での退屈な毎日への鬱屈さをなんとか抑えながら働くアスガーは、誘拐と思われる通報を取り、電話番として現場に行けないながらもなんとか事件を解決しようと、電話番として出来ることをやれるだけやって事件に対処するのだが、どうやらこの誘拐、ただの「誘拐」ではないようで・・・
というのが大まかなプロットである。


鑑賞後最初に感じるのは、とにかく巧みな脚本、その一言である。この電話番という制限ともいえる舞台設定を逆手に取った、今まで誰も観たことがないであろう新しい「映画」のスタイルを確立してしまった。
「サーチ」と似た系統とも言えるか、映画評論家の森直人さんの言うように、確かにこちらの方が舞台設定の「制限」は確実に強い。それでこんだけ面白い映画になるんだもん、素晴らしすぎる脚本である。脚本兼監督のグスタフ・モーラーにはもうあっぱれを100個あげたい。

また、北欧映画ならではというか、ハリウッドなら、この「電話番が受け取る‘誘拐劇’の通報」という突き抜けたワンアイディアだけで終わりそうな物語に、しっかり主人公アスガーの抱える「罪」を絡ませてあるのが秀逸だった。あのラストシーンでの終わりは、観た後もアスガーの今後に思いを馳せてしまうし心に余韻がずっしりと残る。

デンマーク映画ということもあって、主演俳優のヤコブ・セーターグレンは初めて観たけれど、この人の演技も凄く良かった。
脚本の素晴らしさがこの映画のキモであることは間違いないが、それを支えたのはほぼ100%画面に1人で出ていたリアルな「罪を抱えた」アスガー像あってこそである。この人の演技がしっかり観れたから、観客はその電話先の「誘拐劇」の顛末に想像を膨らませることができたのだ。

「誘拐劇」の経過、顛末の「画」は冒頭から最後まで観客の想像だけに委ねられている。100人の観客がいれば100人の「画」がこの映画で生まれるのである。共通の映画を観てここまで鑑賞後の「画」が違う映画も他にないだろう。そういった意味でも今までにない「映画」の楽しみ方を与えてくれる映画である。

今回のスニークプレビュー試写会を訪れた人々は、十中八九映画好きであるが、映画好きであればあるほど、映画をたくさん観ていれば観ているほど、その人の映画体験に基づいた色んな「画」で構成された映画になるんだと思う。この手の体験を映画でしたのは初めてである。サイコーだ。

今回は、この映画を傑作たらしめている
「ずば抜けたワンアイディア」

「上映が始まるまで何が始まるかは分からないスニークプレビュー」
という視聴形式が相まって、宣伝や情報過多の最近ではなかった凄まじく上質な「映画体験」をできた。ここ数年で最高の映画鑑賞だった。
filmarksさん、PHANTOM FILM さん本当にありがとうございました。

PS
余談だが、この映画、「えッ!?」とそれまでのシナリオがガラッと変わるシークエンスで「蛇」が出てくるのだが、蛇ってデンマークでは何か悪い象徴的な意味でもあるのだろうか。
こないだ見た同じくヨアキム・トリアー監督のデンマーク映画「テルマ」でも蛇がちょっと象徴的な使われ方をしてたので、共通項でもあるのかと思った。
きりとし

きりとし