ちょなん

虹色の朝が来るまでのちょなんのレビュー・感想・評価

虹色の朝が来るまで(2018年製作の映画)
4.0
シネマート新宿で上映&舞台挨拶を鑑賞。
ろう者(聴覚障がい者)xLGBTQを扱った作品。
インクルーシブな場をつくるには、まず違いを知り、違いを受け入れることが必要。ってことで最近ろう者の方や、LGBTQの方と接する機会があったので、違いを知るために鑑賞。

作品内のコミュニケーションは基本手話を通じて行われるため、手話でのコミュニケーション中は字幕が入る。字幕というと海外映画を連想するけれど、外国語と同じく手話も言語の一種。母語が日本語の人もいれば手話の人もいる。母語が手話の人は夢も手話でみるらしい。台本も手話の文法で書かれていたそうな。
そういえば今井監督の手話がめちゃくちゃ早かったっけ。映画の中の手話はそこまで早く感じなかったので、手話の早さは読み取りやすさに配慮されてたのかもな。

手話ならではのコミュニケーションとして、距離が離れていてもアイコンタクトが通じる距離であれば、周りの人に気づかれないようにこっそり手話でコミュニケーションが取れる。車を運転しながらの手話は余所見をすることになるので注意が必要。音楽喫茶や読書専門店とか、おしゃべり禁止のお店でも手話ならコミュニケーションが取れるのか。食事中の会話は、食べるのに手を使っている時は手話ができないので、ながら食いが防げてより食事に集中できそう。飲食店の中でのコミュニケーションは、音声を使った会話の場合、犬の遠吠えのようにどんどん声が大きくなり騒がしく感じることがあるけど、手話の場合はあまり周囲に迷惑をかけない。

LGBTQについては、映画を通して人の数だけ性差があるのではないかと思った。生物学的性差(身体)、脳の性差、心理的性差(心)、社会的性差(ジェンダー)。同性愛の親からの拒絶、同性愛の好きな人からの拒絶、トランスジェンダーの親からの拒絶。受け入れることが容易な違いと難しい違い。映画の中では拒絶シーンで、拒絶された人が反論することなくそれを受け入れているような表現があって気になった。
身近な人で置き換えて考えられるかな。
もし自分の母親が同性愛者だったとしたら?
気持ち悪さは感じないけど、今までの母親が失われてしまうような寂しさがあるかな。

群馬が舞台で景色の美しさが描かれつつ、地方の閉塞感と都会とのコミュニティ格差も描かれている。コミュニティの多い都会には様々な対話の場があるけど、まだまだ地方には対話の場が不足している。対話の場が増えてもっと生きやすい世の中になるといいけど。

舞台挨拶では今井監督が、今まで音のない映画を作ってきたけど、音の聴こえる人にも音の聴こえない人の世界を知って欲しいから、音の聴こえる人にも楽しめるように音をつけたと話していた。ここまで映画を観て感じたことを書き出していて、改めて監督の様々な意図が込められている作品であることを感じる。日常の描写が細かく、ろう者やLGBTQの方の追体験をするにはいい作品じゃないかな。(ろう者やLGBTQの方の感想も見たい)

舞台挨拶の回ということで、映画館の中のお客さんはろう者の方が多くて、この場では聴者である自分の方がマイノリティであるように感じた。拍手で手を鳴らすよりも、拍手の手話をする人の方が多かったり。僕も周りの人に倣って拍手の手話をしていた。その方が周りや舞台の上のろう者の方に拍手が伝わると思ったので。(乙武さんの挨拶の時だけ手を鳴らす拍手を)
舞台挨拶に身体機能的に手話ができない乙武さんが呼ばれていたのが印象的だった。そして乙武さんは聴き上手&まとめ上手で、こういうところがモテるポイントなんだろうなぁ。

海外より身近な異文化(ろうとLGBTQの世界)を追体験することのできる作品。当事者や経験者じゃないとわからないことは沢山あると思うけど、知ることで受け入れやすくなることって世の中にはある。
今月、はじめて手話教室に行ったばかりだけど、また手話教室に行ってこの映画の話をしたくなった。まずは指文字を覚えなければ。
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