このレビューはネタバレを含みます
今年公開の「ぼくのお日さま」が気になり、奥山大史監督の長編デビュー作のこの作品を観ました。心に響く凄くいい作品でした。
キリスト教じゃないのにキリスト教の学校に転校した小学5年の由来(ゆら)。信仰に対する疑念や戸惑いがありながら、小さなイエスさまが現れたことや祈ることで願いが叶うことでイエスさまの存在を信じるように。小さなイエスさまが現れるまでがアヴァンタイトル(割と長め)で、イエスさまが現れた途端に「僕はイエス様が嫌い」というタイトルが出る流れは洒落が効いてます。
でも、仲良しの親友の和馬が突然の交通事故に遭い、和馬が回復を祈っているのにイエスさまは姿を現さず、そのまま和馬は亡くなってしまいます。
実態の掴めない祈りなんか捧げるよりも、和馬のラッキーカラーの青い花を捧げようという感じで、現実的な行動に出た由来。その花を買うお金が、イエスさまに祈って手に入れた千円というのがいいですね。
ユラが弔辞を読んだ後、祈りを捧げるときにやっとイエスさまが出現。祈りのために組んだ手で、イエスさまを叩き潰した由来の気持ちは凄くわかります。なんで今さら現れるんだよという憤り。小さなイエスさまが現れるシーンは、どれもちょっとコミカルで微笑ましく、由来の願いを叶えてくれていたからこそ、このタイミングでの出現は由来が育んできた信仰心を裏切られるかのようでした。
でも、イエスさまは常にただそこに存在して我々を見ているだけ。そんなイエスさまのお姿を見るも見ないも、その人次第なんですよね。ずっと引きで固定されていたカメラが、ラストで空撮になって上昇しながら、まるでイエスさまの視線のようになっていくさまから、そんなニュートラルなメッセージを受け取りました。
「セイント・モード/狂信」のヒロインも、由来くらいのフラットなスタンスでいられたならよかったのにね。
奥山監督、22歳でこんな作品を撮れるって凄いな。