僕はイエス様が嫌いのネタバレレビュー・内容・結末

上映館(7館)

「僕はイエス様が嫌い」に投稿されたネタバレ・内容・結末


高校がキリスト教を信仰させているところに通っていた。
自分じゃどうにもできない悲しいことがあっても、
わたしが入りたいときの教会は、
いつも鍵がかかっていた。


そして、祈っても祈っても
なにも癒しや報いへの兆しは
みられないことが多かった


でも、「祈る」瞬間
神様に祈るということだけに想いの矢印がむいて、暗いところからすこしだけ離れられるのだ。


その瞬間だけが、祈ることしかできない人々への救済なのだとおもう。
好きな色が青色だって知っててよかった。
だって、ラッキーカラーだもん。


たまにある監視カメラみたいなアングルは
「神様がいつでもみているよ」と囁くようで、鳥肌がたった。



障子を破くときの顔がたまらなく美しくて、けれどこのときの気持ちを彼もおじいちゃんも、決して言葉にできないのだろうな。

終盤、祈りを捧げるために組んだ手で、神様を潰すところがほんとうに鮮やか。

彼がドンと音をたてて手を振りかざしたとき、分厚い聖書の重厚感、絶対的な存在を感じる。
そして、すこし押せば倒れてしまうような友人の遺影の写真。

この対比が、人という存在の脆さ、あっけなさをより際立っていた。




ここにいない、
もう答えをきくこともできない人がみていた景色をみたとき。みたような気になったとき。

わたしは、
想像する力があってよかったと涙がでそうになる。


祈ることしかできないと
床を叩き、自分を憎み、情けなくなって涙をながしてきた人たちへ贈る映画だ。

そうおもう。
別荘であそぶシーンの輝きやすべての音楽がすき

カットが長めで、全体としてシンプルに丁寧に描かれている印象。
同時にちょっと飽きやすいのかもしれない。

神様はいるけれどもいなくて、
監督はどんなことを思っているのだろうなあと不思議にもおもう。
亡きご友人に、という最後やそれまでの流れは答えが出ているわけではないのかもしれないし、どうなのだろうというかんじ。

全体としての納得感はあるけど、個人的にはもうちょっと答えは欲しがってしまう。
むかし、おじさん監督が

ぼくは編集きらいだから使うとこしか撮らないんだ

って言ってたことを思い出すような予定調和的な画の連続だった


お母さんと担任の先生みたいな人がわたしはいまでも大嫌い
初めての礼拝や神を信じる周りの人に惑わされながら生活するゆらくん。元々彼は神様などいないと思っていたり、実家は多分仏教、お爺ちゃんはキリスト教。
見様見真似でお祈りをしたところ、友達ができお金を得る、お祈りする時や普段の生活にジーザスが現れる。
しかし友人が瀕死の時、いくらお祈りしても現れず亡くなってしまった。
最後のシーンでジーザスを潰す。

純粋な子供にキリスト教やそれを基に成り立つ社会がどう映るのか興味深かった。
彼の心境や行動はアメリカに行った時の自分に似通う部分があり、全く異なる所もあった。

アメリカで教会に通っていた時、多少の違和感はあったものの異文化として受け入れられる面はあった。しかし日本人教会に行った時や日本人のキリスト教信者と話す時強い違和感を覚えた。今回も同様で日本人が日本文化の中でキリスト教を信じ賛美や礼拝をしているシーンに初めは違和感を覚えるが、すぐ慣れた。

作り上げられている社会に疑問を抱いたり、素直に受け入れられないがそれを表明も出来ない子供のありのままの姿が見えた。
何となく主人公によくわからない邪悪なものを感じて感情移入しづらかったんだけど、見終わった後でもっと感情移入しておけばと思った。
神さまという存在がいなくても、嘘だとしても2人の出会いは奇跡であって尊い。
今まで見た映画、って言ってもそんなないんだけどそれの中ででも最高に画が好みだった、話どうでもよくなるくらい
カミサマ、ってなんだろ〜祈るって何かな 不思議な行為だな、ユラ君は祈る行為を通して世界を見たり生死を見たり、成長したりしたんかな。優しいけどちょっぴり無神経な両親、いつも僕をちょっぴり甘やかしてくれるおばあちゃん、サッカーがうまくてカッコいい人気者の友達、いつも笑ってる友達のお母さん、若くて溌剌としたセンセイ、、たくさんの人が見たことあるもの、原風景っていうのかな?知っているものがたくさん出てくるから、なんか不思議な気持ちになる、教室とか公園とかさ…多分誰もが自分の記憶とか思い出とかと勝手にリンクさせて広がってく話だと思った。あと、こんな話とは思ってなくて、ドキッとするところがたくさんあった。つらかったな。実家を思い出すシーンもいっぱいあってなんか泣きたくなっちゃった。みんなそうなのかな。
おじいちゃんとユラくんが障子に穴を開けて向こう側を除くシーンは、監督の持つ祈ることのイメージを視覚化したものなのかなと思った。(監督はカミサマを信じることであの世を覗き見したいんじゃないかってインタビューで言っていたので)向こう側(死後の世界だったり)を覗きたい知りたいみたいな。でもはっきり見ることは怖いし、できない。だから何かを通してこっそり見る。神さまはそれを信じる人に今いるところじゃない世界を見せようとしてくれる?んかな。知らないことって怖いもんねー、、、わかるわかる
食事シーンが合間合間にあってそれが生きてるシーンでよかった、食卓を囲むこと以外で家族が集まる時がなかったのも良い、リアルだ。なんかゴットファーザーも食事シーンいっぱいあるらしいですので見てみたいね 食事をすると繋がっているような感じがするのは人間の共通意識なんかね、何で何だろ

カトリック校で育ったのでありとあらゆるスキーマと記憶が湧き出てきた

どうしてみんなちゃんと目を瞑ってお祈りするのか、お祈りの行方に気づき始めた子どもたち、
チャペルに忍び込むこと

ずーっと毎日していたお祈りをどうして今の自分はしていないんだろうと考えたりした

結構ショックが大きかった
転校生のユラ
慣れない環境の中
少しずつ、適応する毎日
お友だちも出来た。
だけど、突然お友だちは
死んでしまう
神様に祈る事で、以前ゲツトした
千円で、お友達の献花を買う。
そんな経験、そんな日常を
淡々と
丁寧に描いた作品
良かったです。
- 意外にも、イエスを潰すシーンのときの、自分の心の中の衝撃がかなり大きかった事。クリスチャンじゃなくても、やはりタブーに感じるのかな。
- 雪の中の校舎が美しい
- 賽銭箱の前の祈り
地方の祖母の家に、一年程度ということで東京から引っ越してきた家族。主人公の少年・ゆらは引っ込み思案な性格で、地方のキリスト教系の小学校という風変わりな転校先もあり、なかなか学校に馴染めずにいた。そこで知り合った少年カズマと仲良くなり、本当に何気ない日々を過ごしていく。小五という事もあり、行動範囲が広がり出す時期であり、流星群が流れるとなれば夜、二人で小学校まで見にいくし、カズマが別荘があるといえば、カズマの母親も引っ張り出して小旅行に出かける。監督の演出は非常に自然である。台詞回しも嘘くさい感じがなく、小学生達の戯れもどこまでも自然。前半部の二人の少年の出会い、映される日常の積み重ねはただただ緩慢であり、正直、これは外したかな、と感じた。また、この作品のギミックとして非常に重要な意味をなすゆらにだけ見える小さな神様の存在も、キッチュすぎて、うーんって感じ。作品はサッカーの得意なカズマが体育の授業で点を取りまくり、大活躍するシーンに。主人公は活躍出来ず、その鬱憤から授業を放り出して家に帰ってしまう。その主人公に会いに、道路をボールを蹴りながら歩いていたカズマを、唐突にトラックがはねる。かつて、蓮實重彦はキスは発生時間と表現したが、映画において事件とは契機であり、劇的瞬間である。前半の幻想的かつノスタルジックなどこか淡いピントで進んできた描写は、後半以降の神なき試練の時間に対し強烈なコントラストとなって生きてくる。優しく、笑顔の絶えなかったカズマの母親には、裏に養育を自分にしか任せない父親との不和があり、祈りを習慣としていた子供達は神なき世を受け入れていく。カズマは亡くなり、弔辞を読むユラ。小さな神に願ったおかげで見えた流星群は幻であり、神に願って見つかった亡くなった祖父のへそくりは喪われた友への、友のラッキーカラーであるブルーの弔花となった。そして、もっとも祈った友も喪われた。最後、主人公は小さな神に鉄槌を下す。そして、クライマックス、二人が知り合った日、ボールに戯れる雪景色を空撮する形で作品は終了する。これを23歳が撮ったという事実に驚くと同時に、無駄のない構成力。そして、自然な演出。次が気になる監督が出てきた。佐伯日菜子さんの演技も素晴らしい。
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