イルーナ

海獣の子供のイルーナのレビュー・感想・評価

海獣の子供(2018年製作の映画)
4.6
おそらく、レビューするのに非常に困っている人が多いと思われるこの作品。
何せ、主題歌で「大切なことは言葉にならない」とまで言い切ってしまっているし……

当時原作を読んでいませんでしたが、とにかく絵の表現は素晴らしいのは知っていましたので、これは絶対に映画館で観ないと、それも、一番いい席で!と思い、初めてプレミアムシートを予約して鑑賞した本作。
まさに、噂に違わぬ圧倒的作画!音の作り!これはもう、その真髄を味わいたければ映画館一択です。

とはいえストーリーは「よくあるひと夏の冒険ものかな?」程度にしか考えてなかったのですが……
確かに前半は、不器用で周りと上手く関係を築けない琉花が、ジュゴンに育てられたという不思議な兄弟に出会った事で、様々な冒険が始まる!というジュブナイルものといった風情。
クジラの「ソング」のように、言葉以外でも気持ちは伝えられる。むしろ、言葉にしても伝わらない事はザラだし、言葉にしなかった思いはなかったことにされる。言葉で表現するのが苦手な人には刺さる展開です。
それだけに、海くんと空くんの言葉が印象的。
「光るものは、見つけてほしいから光るんでしょ?」
「波打際は、とても雄弁なんだ」
ああ、心が洗われるなぁ……

しかし、空くん消滅から展開が一変。それまではあくまで個人の問題に焦点を当てていたのが、どんどん哲学的な展開に。「祭り」に至ってはもはや「???」しかない状態。
各地の感想を見ても、終盤のスケールインフレについては満場一致と言っていいレベルで皆さんポカーン……状態になっているのがよく分かります。セリフらしいセリフもほとんどなく、ここまで表現力一点突破の展開も珍しい。

しかし、天文学レベルの大風呂敷を広げながらも、最後はしっかり「ひと夏の冒険から日常への帰還」と、きれいに着地しているのが素晴らしい。
そしてエンドロール後には身近な、しかし一番の奇跡に立ち会うことになる。
へその緒を切った時の、「命を断ち切る感触」という表現。
胎児のときは羊水の中にいるから海の生き物だったのが、海の生き物として死に、新たに陸の生物として生まれ変わる。まさに生と死はコインの裏表。
いや、全く予備知識がない状態で観れてよかった。

ちなみに本作を観終わってしばらく経ってから原作を読んだのですが、生物学や民俗学、天文学、神話学と、あらゆる海や生命にまつわる学問を詰め込んだような話で、知的好奇心をとにかく刺激される。
映画を観た時とは矛盾してしまいますが、「何でだいぶ前から存在を知っていたのに、今まで読まなかったんだ!」と後悔するくらいにのめり込んで、読了後は多幸感に包まれました……


※で、「海の子供」って一体何だったの?

世界各地の海で発見される謎めいた子供たち。
その体は海での生活に適応したものとなっているが、基本的に短命。
四巻によると変質したその死体は「白体(卵巣の黄体が退縮した痕跡。それによって月経が起きる)」に似ているとされる。
つまり「海の子供」は「祭り」における卵子のような存在らしい。だとすると隕石のかけらは、本編でも語られている通り精子。
また、二巻では「海の子供」同士で隕石のかけらを取り合ったという描写があるから、海くんと空くん以外は殺し合う関係らしい。
勝った「海の子供」だけが受精卵になれて、敗れた子は白体や月経になるということか。
一個の卵子をめぐって何億もの精子がそれを取り合うのが受精ですが、「海の子供」においてはそれが逆になっている。
空くんは隕石のかけらを得て、本来なら「祭り」において役目を果たすはずだった。
しかし体が弱すぎて本番が来る前に活動限界を迎えてしまい、「海のためにその隕石が必要になったら、腹を裂いて渡してやって」と琉花にそれを託す。
その体内に託された隕石。それを通じてメッセージを受信したりしてたから、やはり疑似的な受胎ですよねこれ。
そして琉花と海くんは「祭り」の本番で無事に使命を果たした……という感じでしょうか?

なかなか残酷に見える設定ですが、あの二人は時間も空間も、生も死も超越した存在として描かれていた。
たとえ形はなくなったとしても、ひょっとしたら……と感じさせてくれるためか、悲壮感は感じませんでした。
イルーナ

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