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マチネの終わりにのBIGHOTTYのネタバレレビュー・内容・結末

マチネの終わりに(2019年製作の映画)
2.3

このレビューはネタバレを含みます

原作は、嫌いだけど面白い作品だと思った。
結論から言うと、無理な企画だったと思う。
120分そこそこではこの作品の魅力を表現するのに余りに短い。
そう意味では、演者や監督の努力自体を批判することはナンセンスだし(ツッコミどころはあったけど…)、演奏の演出は小説以上に説得力があったような気もする。

特に解せなかった事を挙げるとすれば、2点。

一つ目は、国籍の垣根を取り除いてしまったこと。
誰もが違和感を持ったであろう、リチャードという名の日本人。そしてヨウコとソリッチの血縁関係が無いものとした設定。
ヨウコの存在は、置かれている環境に自身の出生の特殊さが相まって、孤立感、危うさが助長されており、いわば設定の妙が働いていたはずだった。
そしてそれがマキノを求める大きな動機の一つとなっていたはずなのに、それが丸々無かった事になっている。
大体、血も繋がってない父親が作った映画の主題歌を少々上手に弾いたってくらいで、20年後まで心に残ってるってことあります?てか、ソリッチへの思い入れはどこから?鼻から?じゃあ黄色のベンザで。
結局グローバリズム的な要因をきれいさっぱり取り除いた事で、物語の深みを失ったわけだが、ジャリーラのエピソードを描く必要性が薄まり、結果としてストーリーのカットには成功しているとも捉える事が出来るが。ただ、それってプラマイゼロ。むしろマイである。

二つ目は、ミタニの立ち位置の逆転。
これは本当にあかん。芯の通った胸糞悪い女と言う、全員のモヤモヤをぶつけるヒールキャラ、いわば受け皿だったはずなのに、映画でのミタニは憎めない。むしろ、かっこいいとか言って奉る脳内お花畑女子が生まれてもなんら不思議ない。そしてそれはれっきとした罪。
リチャードのカケラばかりの人道的な点を根こそぎ剥いで、多少嫌われ者にしたところで、原作のミタニの足元にも及ばない。
この作品は、ダブル主人公のマキノ、ヨウコは共に非難する点が特に見当たらない、という作者の立場としては難しい設定で、原作のミタニはそこに抑揚をつける役割を担い、それは見事に果たされていたのである。
映画では、謎に英語堪能な伊勢谷友介が諸々うぜえけど、みんな各々の道に踏み出せたよね。みたいな話になっちゃってる。は?子供は?
原作の、どう転んでも天国と地獄が表裏一体のオチしかない、というやり場の無い感情をこの映画では一切感じることが出来ないのである。映画では確り厚化粧してるけど、これは不倫ですから。


まあ長く書きましたけど…
何が悪いかって、映画化すんなや!ってことっすね。
白米とふりかけを渡されて、ダブルチーズバーガーを作ってくれと言われましても。モスでも無理。
てことで連続アニメ化とかがいい落とし所だったんじゃないでしょうか。
原作同様、マキノ視点もヨウコ視点のエピソードを交互にする、みたいな。
マッドハウスで行けたはず。
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