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アルキメデスの大戦のTKLのレビュー・感想・評価

アルキメデスの大戦(2019年製作の映画)
4.4
「ゴジラ -1.0」公開からはや5ヶ月というべきか、まだ5ヶ月というべきか。
米国アカデミー賞の特殊視覚効果賞の発表を直前に控えた現時点で、かの作品はその好き嫌いは別にしてこの国の娯楽超大作のマスターピースになりつつあると思う。
山崎貴監督は、この数ヶ月で、映画監督としてのその立ち位置を一変させたと言っていいだろう。

この監督のフィルモグラフィーを振り返ってみると、個人的に鑑賞した作品に対しては概ね好評を持っていることに気づく。
「ALWAYS 三丁目の夕日」にはベタに感動したし、世間からの酷評の「SPACE BATTLESHIP ヤマト」も楽しんだし、「永遠の0」もベストセラーの原作を見事に映画化して見せていた。
原作漫画の大ファンとして臨んだ「寄生獣」2部作も、大満足とは勿論ならないが、独自の解釈を含めた意欲的な映画化作品に仕上がっていたと思えた。

と、割と好きな映画を生み出す映画監督であるはずなのに、昨年「ゴジラ -1.0」の鑑賞に至るまで、新作に対する期待値が高まらなかったのはなぜだろうか。
“誰得”な人気漫画やゲームのCG映画や、“子供だまし”感がプンプンするファンタジー映画を、この10年余りの間で量産しているからだろうか。

そんなわけで、本作「アルキメデスの大戦」も公開時から期待感もなく、スルーし続けていた作品の一つだった。
個人的に主演俳優の菅田将暉に対して、演者としてあまり好印象がなく、彼が昭和初期の軍人を演じるということに対する違和感も、興味を持てなかった大きな要因だろう。

結論から言うと、とても面白い映画だった。
太平洋戦争開戦前の旧日本海軍における兵器開発をめぐる政治的攻防が、事実と虚構を織り交ぜながら娯楽性豊かに描き出される。
若き天才数学者が、軍人同士の喧々諤々の中に半ば無理矢理に引き込まれ、運命を狂わされていく。
いや、狂わされていくというのはいささか語弊があるかもしれない。主人公の数学者は、戦艦の建造費算出という任務にのめり込む連れ、次第に自らの数字に対する偏執的な思考性と美学をより一層に開眼させていく。そこには、天才数学者の或る種の「狂気」が確実に存在していた。

一方、旧日本海軍側の軍人たちにおいても、多様な「狂気」が無論蔓延っている。
旧時代的な威信と誇りを大義名分とし、戦争という破滅へと突き進んでいくかの時代の軍部は、その在り方そのものが狂気の極みであったことは、もはや言うまでもない。
強大で美しい戦艦の新造というまやかしの国威によって、兵や国民を無謀な戦争へと突き動かそうとする戦艦推進派の面々も狂気的だし、それに対立して、航空母艦の拡充によって航空戦に備えようとする劇中の山本五十六も軍人の狂気を孕んでいた。

数学者の狂気と、軍人の狂気が、ぶつかりそして入り交じる。

史実として太平洋戦争史が存在する以上、本作の主題である戦艦大和の建造とその末路は、揺るがない“結果”の筈だが、それでも先を読ませず、ミスリードや新解釈も含めながら展開するストーリーテリングが極めて興味深く娯楽性に富んでいた。
避けられない運命に対して、天才数学者のキャラクター創造による完全なフィクションに逃げることなく、彼自身の狂気性と軍人たちの狂気性の葛藤で物語を紡いでみせたことが、本作最大の成功要因だろう。

主人公を演じた菅田将暉は、時代にそぐわない“違和感”が天才数学者のキャラクター性に合致しておりベストキャスティングだったと思う。
新たなキャラクター造形で山本五十六を体現した舘ひろしや、海軍の上層部の面々を演じる橋爪功、國村隼、田中泯らの存在感は流石だった。特に主人公側と対立する平山造船中将を演じた田中泯は、圧倒的な説得力で各シーンを制圧し、本作の根幹たるテーマ性を見事に語りきっていた。
若手では、主人公のバディ役を演じた柄本佑がコメディリリーフとして良い存在感を放っていたし、ヒロインの浜辺美波は問答無用に美しかった(そりゃ体のありとあらゆる部位を計りたくなる)。

そして、山崎貴監督のVFXによる冒頭の巨大戦艦大和の撃沈シーンが、このストーリーテリングの推進力をより強固なものにしている。
プロローグシーンとしてはあまりにも大迫力で映し出されるあの「戦艦大和撃沈」があるからこそ、本作が織りなす人物たちの狂気とこの国の顛末、そして、「なぜそれでも大和は建造されたのか」というこの映画の真意がくっきりと際立ってくる。

数多の狂気によって、かつてこの国は戦争に突き進み、そして崩壊した。そこには、おびただしい数の犠牲と死屍累々が積み重なっている。
ただ、だからと言って、誰か一人の狂気を一方的に断罪することはできないだろう。なぜなら、その狂気は必ずしも軍部の人間たちや政治家、そして一部の天才たちだけが持っていたものではないからだ。
日本という国全体が、あらゆる現実から目をそらし、増長し、そして狂っていったのだ。

今一度そのことを思い返さなければ、必ず歴史は繰り返されてしまう。
平和ボケしてしまった日本人が、失われかけたその「記憶」を鮮明に思い返すために、山崎貴監督によるVFXが今求められているのかもしれない。
誰得のCG映画やファンタジー映画で茶を濁さずに、意義ある「映像化」に精を出してほしい。
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