沖縄の不屈の精神を体現し、大衆に植え付けた男、瀬長亀次郎の生涯。沖縄を愛するものだけでなく、すべての日本人が観るべき映画でした。
アマプラ無料なので是非。
1/4の県民が死んだ沖縄戦。捕虜収容所での餓死も多く、終戦後も夜な夜な起こる米兵による婦女暴行、強制的な土地接収、日常的な搾取と強制労働、基地周辺で続く事故。
そして米兵による6歳の女の子の強姦殺人事件。
米軍の実態は占領軍であり、沖縄は植民地だった。戦争が終わっても地獄は終わらず。1969年の沖縄返還後も、反共の砦として取り残され、恒久的に基地化された。
“この瀬長ひとりが叫んだならば、50メートル先まで聞こえます。ここに集まった人々が声をそろえて叫んだならば、全那覇市民にまで聞こえます。沖縄70万県民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波を超えてワシントン政府を動かすことができます”
日本人民との結合と祖国復帰を求めた彼の運動は沖縄県民の憧れ、支えとなり那覇市長にまで押し上げられた。しかし米軍から反米、共産化として赤狩りのような扱いをされ、非人道的、非民主的手段で市長の座から引きづり下ろされる。それでも。
“瀬長は勝ちました、アメリカは負けました”
“不屈”という言葉を、カメジローは”沖縄の不屈”と捉えていたが、県民は”カメジローの不屈”と捉えていた。いまも彼の地には、第二、第三の瀬長が生まれている。
中国が利己的に南西アジアに支配下に置こうとしている現在、地政学的にも軍事的にも沖縄に米軍基地があることの意味は増し続けている。しかし。
答えは出せずとも、知っておかなきゃいけない。一部に犠牲を強いる仕組みは長続きはしない。