DJあおやま

ジョーカーのDJあおやまのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.4
僕のささやかな映画人生の根幹にあるのは、中学生の時に夢中になった作品たち。『レオン』のスタンスフィールドや『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター、『タクシードライバー』のトラビスなど、僕はとにかく映画のキャラクターたちに魅了された。なかでも、『ダークナイト』のジョーカーには心酔しきっていた。この映画を観て、あの頃の気持ちが蘇って、右脳がずっと痙攣していた。自分こそがジョーカーなのだと信じてやまないあの頃の気持ちが、つまらない毎日をただ消費するだけの自分の脳を揺らした。

この映画では、『ダークナイト』では多く語られなかったジョーカーのバックボーンに焦点を当て、より社会情勢と絡めてジョーカーの誕生を描いている。ホアキン・フェニックスは、ヒース・レジャーに負けず劣らず好演していて、強烈なインパクトがあった。あの骨張った身体が痛々しく、妙に不気味だった。
ただ、ジョーカーにフォーカスしているものの、この映画が『ジョーカー』である意味は薄く感じた。おまけ程度に、ブルース・ウェインとの関係性も描かれているものの、この作品はジョーカーを描きたくて作っているわけではない。
人々の怒りや不満、フラストレーションが溜まりに溜まり、今にも爆発しそうな社会に現れた、ある種のヒーローをきっかけに、混乱し混沌としていく社会の脆弱さが描かれている。そのヒーローが、共通認識としてあるジョーカーという概念と合致しているため、たまたまこの映画は『ジョーカー』なのだ。
社会に対して何かしらの不満や疑念を抱いていれば、誰でもジョーカーになる可能性を孕んでいるはず。もしこの映画を観て、ジョーカーは怖いな程度の感想を持つ人はきっとハッピーな人生を送っているのだろう。僕は、僕こそがジョーカーだと信じてやまない。街を歩けばムカつく奴らばかりで、片っ端から殴り倒したい衝動に駆られることがあるが、もちろんそんなことはしない。ただ、もうそれも何かのきっかけひとつで、そのストッパーは外れてしまうという脆さも認識しないといけない。
DJあおやま

DJあおやま