ハク

ジョーカーのハクのネタバレレビュー・内容・結末

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

ホアキン・フェニックスの怪演に脱帽。本当に素晴らしかった。
(それを活かす撮影・編集があってこそだけれど)

「誰もがジョーカーになりうるんじゃないか」って誰かが言ってたけれど「なるほどそういうことね、確かに」という印象。

この映画の感想は全くまとまらない。
まとまらない映画だと思う。
人って同時に沢山の感情・思考が乱立しているものだと思っていて、それが見事に描かれていた。
ジョーカーの気持ちを絞れないシーンが多々あったが、多分それでいいんだろう。

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(以下まとまらない感想のメモ書き)

人を笑わせる仕事で認められたかったけれど上手くいかず、人を殺すという真逆の行為で認められてしまう葛藤。人は評価して欲しいところで評価されなかったりする。

でも「自分が存在しているのか分からなかった」ほど蔑ろにされて枯渇していた承認欲求が刺激されてしまって、止まらなくなってしまったんだろう。世の中の人に扇動されてしまったんだろう。

コメディアンとして認められたと思ったら、「馬鹿にするネタ」として呼ばれてしまう悲しみ・怒り

ずっと大切に思ってきた母親、愛されたかった父親の裏切り。唯一の拠り所だと思っていた人から自分は愛されていなかったことを知る絶望。

彼の涙は怒り・緊張・焦りなどの負の感情に連動していると思うけれど、どのシーンにも共通しているのは悲しみ。

街のみんながただ暴動を犯すのではなく、共通のピエロの仮装をするのは、ただJOKERに賛同している人が沢山いるってだけじゃなくて、
・彼の思想はこの街、あるいは多くの人に共通するものであること
・誰もがJOKERになりうることを暗喩している(他の誰もが車の上で踊るあのJOKERになりうる可能性がある)
とかそういうことも言いたかったのかなあとか。

最後の白いシーンの解釈は迷う。
・JOKERを発端とした暴動が功を奏し、福祉機関が復活。JOKERは精神的な治療を受けている。(カウンセラーは殺害。足跡は血)
・彼の生い立ちもあの街もあの出来事も全て彼の妄想だった。
どっちかなあ…
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色々思うことはあれどこの映画は
「自分が存在しているのかも分からなかった。でも存在している。」
「僕が道端で死んでいたって踏みつけるだろう。」
「正義とかそういう価値判断は個人の見方で変わる。」
この3フレーズに集約される。

『JOKER』という人はあまりにも優しく純粋で、悲しみの縮図であり、『JOKER』という映画は悲劇的な喜劇である。
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