人生は喜劇。
でも、その喜劇は、まったく笑えない。
アーサーがジョーカーになるまでの過程を追う当作品、きっとかなり絶望的な気持ちになるだろう、と覚悟して観た。
しかし、とうとうジョーカーになり、階段でダンスするシーンまで観ても、「絶望的」とまではいかなかった。
それはおそらく、アーサーの悲運、そして逃れ難い苦しい境遇は、世の中にありふれているように思えたからだ。
障がい者としての生きづらさ、同僚の裏切り、不当解雇、貧困、母親のネグレクト、妄想と現実の混濁、強者による弱者へのリンチ、、、。
それがひとりの人間の身に起きていると思うと、本当に耐え難いと思う。
しかし、それでも、そういったことは世の中にありふれているように思えた。とくにこのゴッサムシティでは。
だから、「絶望的」とまではいかなかった。
でも、マレーの番組に出たジョーカーの言葉。
社会に向けての呪詛にも似たその言葉に、悲しみが猛烈に駆け上がってきて、嗚咽とともに溢れ出た。
なんて悲しい。
ありふれた悲運。だからこそ誰もがジョーカーに成り得た。だから群衆はジョーカーを持ち上げた。
悲しい。
エンドロールを見終えたあとも、しばらく喉元がひくついていた。
印象に残ったこと→
アーサーの痩せこけた身体から奇妙に飛び出る骨格は、悲しみと狂気を抱えた悪魔が今にも皮膚を突き破って飛び出してくるように感じられた。
階段のサインをdon't smileに書き換えるシーン。この瞬間から悲しみや怒りを、力づくで笑いへ変換していくアーサーの後ろ姿がつらい。