このレビューはネタバレを含みます
チェコ・ニューウェーブの旗手パヴェル・ユラーチェクとヤン・シュミットによる実験映画。つげ義春の「夢もの」のような不思議な味わいの作品。
英題はJoseph Kilianとなっているが、主人公がヨゼフ・キリアンなのではなく、主人公ヤンがヨゼフ・キリアンを探すために、プラハの街をさまよう物語。
ヤンが旧友のキリアンを探しに街をぶらぶらしていると、猫のレンタル屋を見つける。早速猫を1匹レンタルしたが、翌日返しに行くと店があった場所にレンタル屋は影も形もなく、周囲に聞いてもそんな店は見た事も聞いた事もないという。仕方なく猫を抱えたまま家に戻る。
翌日、猫を鞄に入れて事務所を訪れる。長い廊下をさまよった挙句、待機する人々の部屋に辿り着く。彼らは何かを待っているようでどことなくそわそわしている。おもむろに一人の男が隣室のドアを開くと、他の人々も慌てて隣室へ駆け込むが、部屋の中はストーブが設置されているほかは、電話が床に置いてあるだけ。と突然電話が鳴る。一人が電話に出るが、相手の話はまるで要領を得ず、電話は切れる。再びキリアンを探しに長い廊下を歩く。
結局キリアンは見つからず、再び猫と街へ繰り出す。パブに入ると、キリアンによく似た男を見かけた。声をかけるが、男はキリアンなど知らないと言う。釈然としないままヤンは席に戻る。やがて、キリアンに似た男は周囲を警戒しながらそっと立ち上がる。猫を抱えながら、男は去っていく…。
あらすじだけ追うと支離滅裂だ。カフカ的不条理性を備えた、社会主義国家体制下での官僚主義への皮肉が劇中で試みられている、との由だが、不条理劇なのは十分理解出来たが、カフカ的なのかどうかはよく分からなかった上に、正直風刺の部分は余り伝わって来なかった。
ただ、一見不可解な物語に沿って撮られたショットが別にビビッドな訳でもないのに、いちいち美しくて強く印象に残る。今はその程度に留めておきたい。私にはまだ早い映画だったかもしれない。