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殺したのは誰だのニューランドのレビュー・感想・評価

殺したのは誰だ(1957年製作の映画)
4.2
✔『殺したのは誰だ』及び(4.2p)『誘惑』(3.0p)『危ないことなら銭になる』(2.7)p▶️▶️

 21世紀になって何回かこの作家の大規模(全作かそれに迫る)レトロスペクティブが行われ、若い世代にコアなファンがうまれていた事など全く気がつかなかった。我々が観ていた20世紀の内には、特集といっても彼のはせいぜい数本止まりで、今回の21本の特集でも酔狂なことをと思っていたが、むしろ最近のでは小規模にあたる。そもそも20世紀の一般認識では、黒澤·増村·清順·泰·喜八等の例外を除けば普通に特集の組める映画作家は限られたもので、映画を見始めた’70年代では、小津も清水も決して人気作家ではなく(神格化はされてたが)、洋画でも’60年代に仏から寄贈され、字幕が付けられ’70年代から上映回数が増えたとはいえ、誰も日本では『ゲームの規則』など気にもとめず、観ても駄作との決めつけが多かった。そんなだからヌーヴェルヴァーグ派に褒められた、若き天才がすぐ酒に溺れた、という伝説が独り歩きしていた以外、中平が特にもちあげられるはなかった。しかし、当時から輝きを放ち、観る人を組み伏せてた例外がある(今初めて知って何だが、この作家のほぼ全作上映ゆを最初に企て、それを定着させていった人には感心する)ー『殺したのは誰だ』。
 汎ゆる映画の手法·要素の最精練·最年季が、更に完璧なバランス·密度で詰まった稀なる傑作で、1957年度邦画ベストテンをいまの目で選ぶなら、『幕末太陽傳』『くちづけ』らにつづく、第3位というところか。伝説と違い、実はカイエの連中はこれを発見したのでは、と想像したい。シャブロルはこれを観て『~セルジュ』『いとこ~』から今知るあの世界に方向転換したような気さえする。松山·姫田·伊福部·新藤·中平の揃い踏みは、信じがたいコンパクトで神聖な多彩世界を眼前に見せてくれる。あらゆる映画の、創意と手すさび、その閉塞現実への写し取り·破き突き抜けが詰まっている。
 ここでは、映画技法が峻別されておらず、完璧な室内(屋外もいいが)の不整頓·不衛生·湿気·屋外通底(ワンカット屋内なのに埃のせいを超えてバックが荒廃地に見えるカットすら)がそのまま形となった密度あるセットをキィにして、ロケ·スクリーンプロセス·ミニチュア(アクロバティック衝撃の車)、何でもありと、リアル盲信などなく、只作品本位完全目指しがあるだけ、技法の純度よりベースの真の潤沢さからの持出しの方に自信がある。フェリーニのような同種の人間らを次々引き継いで屋外空間を内から広く一回転(車磨きの少年らが次々来る車に待機順にトライ)の果てないマジカルや、ロータリーへの車の当たり屋の一度怖気づき架橋を潜りまた戻ってくるをカメラ上下半ば追いつつのサーカス的な、カメラワークを始め、大窓を介しての屋外から屋内殴り込み?の立体動きへのフォロー確実、ビリヤードや酒場殴り合いの『ハスラー2』『ディパーテッド』にヒケをとらないカメラの位置取りとスピーディ·リアルで正確なフィットの動き。恒に人物は、焦り·疲れ·暑さ·湿気にうっとおしい迄にたかられ、心身が消耗している。その中でそれでも示そうとする威厳·威嚇への傾斜がいつしかのやや仰角図表情捉えで表される。過剰に執拗な悪魔の囁き·誘惑も、個々には解決済も未理解からの残酷な車や人体の破壊も通るモンタージュや、亡くなった者の血縁の子供らと·直前籍入れで認めた者の事態変わってもの新·疑似家族の姿、のラスト辺も、浮き上がりはしない。低い位置の移動、血や蠅の執拗な捉え、個人を跨ぐ金計算や、吊るされハエ取り紙や扇風機のろい天井の入り、らが恒にこびりついてあるからだ。90°変や、1人や縦二人の図の切返しのスクエアさも、確かな面の一方の温度の落ち着かせへもここでははたらかない。全てが、チャチさすら完全さの一部で絶対の映画だ。
 戦後の苦しい時期を手を携え生き抜いてきた妻を10年前に失って以来、運と意欲を失い、子供二人を残し、飲食屋の女とくっついてそこに住みつき、中古車仕入主体の仕事の車のセールスも、ライバル社の若手に出し抜かれ続きで、生気を失った状態から抜け出せないでいる53歳。娘は水商売=ホステスに身をやつし·父と愛人に否定的、学生の息子はビリヤードの腕である程度稼いでるが実は家族全体を考え·大勝負に賭け負ける、愛人は男の持出しを含め借金で店の手放しが迫ってる。戦後の苦境から仕事を得られた時と同じく今回も満州で共に働いてた友の大出世した姿に再会、全てをリセット出来る大口の契約にこぎつける。しかし、前も犠牲者を生んだ、保険金狙いのロータリー狙いの当たり屋を、息子が持ちかけられ決行直前と聞き、駆けつけるが、思い留まった息子のハンドルを誤らせ、自らが轢かれ、息子の車も大事故に。父が隠居を考えてた地に、姉弟と(姉も愛を認めた)父の愛人は、新しい家族として向う。「命を賭ける者が少額で、持ち掛けた者に大金か。金は、一攫を賭ける貧者でなく、金を持った者に更に集まってく」「分かった。二人が籍を入れるに反対の私だったが、本当に(純粋に損得と無縁に)父を愛してくれてたのは、貴女だと分った」
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 ついでに、後二本、いまの中平人気を支えてる強力?二本を20数年ぶりに再見する。『誘惑』。華々しいくらいに、ゴージャスな、再開日活の威信を示し、新エース中平に自由に羽ばたかせた、必ずや目を引く作。個人的には今世紀初めて見るが、やはり前のこの程度だよな感は変わらない。銀座の洋品店の二階を画廊に改装オープンを巡る話で、その界隈·登場人物らの住家も含め、松山のセット·美術の輝き·才気は眩い位で、中平のタッチも劣らずその上に開花する。低くも畳縁の極ロー迄一気降りるから、前後·左右(+廻る)·次々出入りを繋いでくフォローのカメラワークから、(手前接写人越し)急俯瞰や向い建屋内の短長縦図、(CU)表情や手·脚の過剰反応入れ、各人の回想やモノローグのこれも過剰説明。
 画廊お披露目に群がったり招かれる、店主の娘ら生花若手グループ、費用折半の貧乏画家グループ、洋装店従業員(画廊新規受付も)、店主の旧友芸術家、がブレイク·恋(世代を次いでも)成就、がバタバタと果たされてく。
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 我々20世紀人には、鮮やか傑作あれどアヴェレージはせいぜい1割バッターのこの作家の、一般的には60年代の脱力アクションものの代表作の一本、昔三本立てくらいで観たのか、『危ない~』の再見。淡く霞がかかったようなプリントのせいもあるが、シナリオ·演技·カッティング·構図が一向にのってこず、説明で立ち止まり(説明より勢いこそが大事なのに)、その中身もセコく丁寧すぎ。どこにやる気·才気·邪気があるのか。赤色染めや、大L中⇒載せ、くらいにオッと反応するが脱力感にも限界がある。もう酒に溺れてたのかわけでもなかろうが。
 偽札印刷用のミツマタ紙、版造り名人の、確保を巡る、ヤクザと首突っ込み四人の、出し抜き合戦だが、初期に比べセットもショボい。
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