三樹夫

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンの三樹夫のネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

アメリカ原住民オセージ族の居住地で起きた連続殺人事件を題材にしたドラマ。公式HPに「アメリカの歴史に暗い影を落とす実際の事件を基にしたサスペンス超大作だ」、「オクラホマで起こった先住民族の連続殺人という凄惨な事件を、スリリングかつエモーショナルに描き」、「不可解な連続殺人事件が起き始める。町が混乱と暴力に包まれる中、ワシントンD.C.から派遣された捜査官が調査に乗り出すが、この事件の裏には驚愕の真実が隠されていた」とあり部分部分を引用してみたが、これは映画を観れば分かるが所々ふかしており、エンタメ的にハラハラさせるような映画ではない。
スコセッシと脚本のエリック・ロスは、事件の捜査のために来たFBIエージェントの視点で物語を語ろうというので脚本に2年費やしたが、元々はFBI捜査官を演じる予定だったデカプーの意見で、FBIの視線の外側からではなくオクラホマの内部から描くと変更になった。捜査のために来たFBI視点で描かれていればスリリングなサスペンス超大作になっていただろう。
またバカが何人かこの映画には出てきており、デカプーがデニーロ陣営からFBIの取り調べを詰問されていたシーンは多少コミカルだったし、バカの滑稽な部分をもっと抽出して笑いの要素をもっと増すことは可能だったように思うが、凄く真面目に作られた映画になっている。
スコセッシは映画の最後で登場したり、インタビューで「この映画でオセージ族を知ることができる。映画の世界に身を委ねてくれる人は大勢いる。このチャンスを逃す理由はない。今、ほかに何ができる?」と語っており、社会正義でこの映画を作った部分もあるだろう。ただこの映画がこういった形になったのはデカプーの影響が大きいように思う。スコセッシは『タクシードライバー』はポール・シュレイダーの映画、『キング・オブ・コメディ』はデニーロの映画と言っているが、であれば『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』はデカプーの映画だろう。
映画ではオセージ族のコミュニティ内から事件が描かれ、石油の受益権を狙われひたすら酷い目に合い続けるオセージ族、その中心にいるモリーとアーネストという話になった。デカプーは、「オセージの物語に浸っていなかった。感情を刺激するようなモリーとアーネストのシーンは、ほんの少ししかなかった。だから、彼らの関係とはいったい何だったのかを追求することにした。複雑で異質で、これまで見たこともないようなものだったら」と脚本変更を求めた理由を答えている。

デカプーとデニーロが結託してモリーの親族をひたすら殺していく。デカプーとデニーロがどうしようもないゴミクズを演じている。ゴミクズを演じるにあたってデカプーはまず表情から入っており、登場してからずっと何その顔という、『ゴッドファーザー』の時のマーロン・ブランドみたいな顔をしていた。
撮影現場ではデカプーの会話・セリフの即興演技はエンドレスだったらしく、映画を観ていてもデカプーがアーネストにやたら入り込んでいるのが分かるがそれを裏付けるエピソードのように思う。逆にデニーロはもう喋りたくない状態だったらしく、時々スコセッシと目を合わせて呆れることもあったとのこと。スコセッシも「レオ、そんなセリフ要らないよ」と伝えることもあった。デカプー入り込み過ぎてトランス状態になってるやん。ただ役者が演技のトランス状態になったからといって必ずしも作品に寄与するというものではないだろう。フィックスの多用や長回しなど、役者にとって演技を見せるのに嬉しい舞台が作られていると思う。

アーネストはもの凄く都合のいい考え方のゴミクズだと思った。妻を愛していると言いながらも、妻の親族を次々殺すことに加担しており、またインスリンに薬物を混ぜて妻に注射していた。しかし彼の中では妻への加害性は都合よく無いことあるいは軽いものになっており、妻を愛している自分というところだけが都合よく残っている男のように見えた。モリーから私に何を打ったのと尋ねられた時は、妻への加害という現実にいやでも向き合わざるを得ずバレバレの嘘をつくしかない。こういう都合のいい考え方の人間は現実にもいると思う。DV夫がいたとして、妻へのDV行為は都合よく夫の脳内からは消えているが、自分は妻を愛しているという部分だけ都合よく残っており、自分は妻へ愛情深い夫という自認識のような。
アーネストの言動については解釈が分かれる部分があるだろう。何考えてるんだこいつと思うような人間で、バカでもあるので事態をどこまでしっかり認識しているのか謎だ。バカだしクズだし、ただし妻を愛しているというのも彼の中では成立している。
三樹夫

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