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キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンの傘籤のレビュー・感想・評価

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きっとこの映画はアーネスト以外の誰かを主人公にすることもできたはずだ。キングを主人公にすれば凶悪犯罪を行ったボスの栄枯盛衰物語が出来ただろうし、トム・ホワイト演じる捜査官を主人公にしたならサスペンスフルな探偵風ドラマになっただろう。あるいはモリー視点からすれば次々と家族や隣人が殺害されていくホラーの出来上がりだ。でも本作はそんなありきたりな語り方をしない。話の中心となるのは、ひたすらに矮小でちっぽけな男であり、どこまでもどこまでもかっこ悪いアーネストという存在だ。彼に英雄的なところは全くなく、ただ流されるまま犯罪に手を染めていくその姿には、トラヴィス・ビックルのような「アウトローの魅力」は皆無であり、憧れの念など抱きようもない。

凄まじいのはこれほどの時間をかけながら、アーネストはその中身が「空っぽ」なのか、それとも「欲に塗れている」のか、あるいは「別のなにか」に突き動かされているのかがわからない点だ。後半、裁判のシーンが始まってからは、巻き込まれ、まるで被害者のような面をしていたアーネストの犯してきた罪がいよいよ露になる。

脚本・構成はアーネスト自身の定まらない、自身の行動理由さえ規定することのできない彼の愚かさを反映しているかのようだ。「自分は自分なりの誠実さを持ってやってきた」という醜悪。偽善にさえならない普遍性を欠いた彼という存在。同時に、そうすることで多層な面を持った人物としての「アーネスト」が浮かび上がる。

きっと、彼の行動原理は彼自身もはっきりしないのだろう。妻を愛する気持ちは確かに持っていて、しかしある種の確信を持ちながら注射を打ち続けることもしてしまう。愚かであり、したたかでもある卑近な存在。でも私にはそれがすごく「当たり前」のようにも思える。人は自分の狡さや残酷さを知っていても、わかっていながらも、それが自明であるがゆえに行動をし続けることができる。そんな残忍な生き物なのだ。

私がわからないのはむしろモリーの方で、インスリンではない薬を投与されている可能性があるとわかっていながら、それを許していたことだったりする。それは夫への愛か、あるいは諦念なのか、それとも別のなにかだったのか。愛する者に日々殺され続け、それを受け入れる彼女の胸の内にあるものとはーー。結局それが如何なるものだったのかはわからないのだけど、そこには彼女なりのしたたかさのようなものも見え隠れし、その忍耐力に感じ入ったりもした。
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