このレビューはネタバレを含みます
『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』
待望のライカ最新作
この感想を無難に書ける自信がないけど、なんとか頑張って書いてみようと思う
ミスターリンクのためヒマラヤに向かう一行が大陸を横断するために馬車に乗ってるシーンで、ふと「リンクって表情や仕草が古典映画で見た黒人奴隷ぽいよね」と思ってしまった
すると、彼が窮屈そうに着ている服や「お前なら〇〇できるよな?」と決めつけられたことが(当のリンクが無邪気だから余計に)苦しくて仕方なく、そのあとのバディ感も実は心から楽しめなかった
そしてやっとたどり着いたシャングリラで"スーザン"は理想郷の同族からも余所者で下等な者として扱われる
極め付けは長老から投げつけられた「レッドネック」という言葉
確かにアデリーナが何度も何度もライオネルを諭し、彼だってちゃんと少しずつ変わっていったのは間違いない
裏付けるように、氷の橋でダンスビー卿と対峙したライオネルは初めてミスターリンクを友達と主張する
けどそれは、ダンスビーに対する反発心の強さから反射的に出たものではないと言い切れるか?
BLMムーヴメントに対し幾度も聞いた「でも自分にも黒人の友人がいる」とレイシストではないと主張する言葉
それは決して免罪符にはならない、だからこそ彼らの人権を尊び共感しようとするかが重要なのだ、そんな事が頭をよぎり正直ストップモーションの素晴らしさを堪能する余裕などなくなってしまった
もし自分が感じたように、ビッグフッドを黒人と変換し更には彼が自らを"スーザン"と名乗る事に意味があるとしたら、これは日本で言われているぼんやりとした『多様性』なんかよりずっとずっとアイロニーに満ちた作品なのではないでしょうか